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母の命日に


15年前の桜散る季節。
僕の大事なひとも散っていった。

そのひと・・僕の母は死の床にいた。
僕は意識のない母の横で、何時間も呆けたように座っていた。
病室の窓から見える満開の桜が、、強い春の風に散らされ、吹雪いていくのを眺めながら。

肝臓に発生した癌細胞は、か細く小さい母のからだのあちこちに転移し、拷問のような苦痛を与えつづけていた。
「痛い。痛いの映児。お願い。助けて映児」
訴える母の言葉に、無力な自分を感じずにはいられなかった。
主治医にかけあい苦痛を少しでも和らげる処置をお願いするしかなかったのだ。
やがて、大量に投与されたモルヒネによって、母の意識は混濁し始めた。
うわごとみたいなことを口にし、突然はね起きて暴れたり、僕を指差して罵ったりした。
もはや、僕が誰であるのか、自分がどこにいるのかさえ、わからなくなっいたようだ。
母はすでに外界にはなんの関心もなく、迫り来る「死」という事実に対して本能的な反応をするだけの、一個の生物になってしまっていた。

モルヒネによって眠りについた母を見守りながら、僕はあることを思い出していた。
小学校5年の夏休み。
浚渫船の船長だった父は、船のドック入りに伴って四国の今治に長期出張していた。
「お父さんのところへ行こう」
母は、急に僕と弟に向かって言った。

四国に渡る船のなか。
母は船べりに立って海を眺めていた。
そのうしろ姿は、声をかけようとした僕を拒絶するような寂しさがあった。
耐え難いほどの孤独と、心細さが伝わってきて、僕の胸を刺した。
そこに立っていたのは僕の母ではなく、ひとりの女だった。
幼かった僕にも、それははっきりと感じられた。

ほどなくして父の浮気が発覚した。
見知らぬ今治のアパートで、幼い僕ら兄弟を連れた母の前で、父は顔を蒼ざめさせていた。
部屋の片隅に座った若い女が、うすら笑いを浮かべていた。

それからの地獄のような日々は、思い出したくもない。
諍いの絶えない暗い家庭で、僕は思春期を過ごさざるを得なかった。
若く美しかった母の記憶は、あの船の上のうしろ姿が最後だった。

でもね、お母さん、今になって、あのときのあなたの気持ちはわかるよ。
あのとき、僕は幼くて、自分のことでいっぱいだった。
お母さんの気持ちを推し量れるほど、成長していなかった。
もし、あのときの僕が今くらいの年齢の僕だったら、お母さんに言ってあげられたこと、してあげられたこと、たくさんあったのに。
幼くて、残念でした。
幼くて、ごめんね。

僕は眠る母に、そう語りかけた。
しかし、そのときの母はなにも答えず、僕の眼には死への準備で忙しいように見えた。

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未分類 | コメント(2) | 20100417013649 | 編集
189|更紗|20100417085455

その時私は母の不倫を手伝わされました。 相手は私の担任。
母はずっと、私に「先生は親戚だから」と言っていました。私はそれを信じていましたが、どう考えてもおかしい関係だったのです。
担任は言いました。「お前は詩がうまいから、毎日一個ずつ、詩をこのノートに書け」ノートを一冊渡されました。私は毎日詩を書きました。それを毎朝、提出するのです。ノートの中には、母から担任への手紙が入っていました。朝の会、同級生が見守る中、担任は手紙を読み、私に、読み終わった手紙を細かく裂いてゴミ箱に入れろ、と命令するのです。同級生が見ている前で、私は手紙を裂きます。その間、担任は手紙の返事を書き、ノートにはさみ、私に渡すのです。次の年も同じ担任でしたので、二年間、毎朝の日課として、それは繰り返されました、同級生に見守られながら。
何度も、父へのごまかしに使われました。担任とのデートには私も連れて行かれました。もちろん、父には言うなと言われました。
映画に連れて行かれ、母は映画が始まる前に「ちょっと、買い物に行ってくる」そういって、帰ってきませんでした。映画が終わってから「映画が始まってたから、後ろで見てたの」そう言いました。その後、父にあらすじを聞かれても、母は答えられませんでした。
母は担任と会っているのが父にばれそうになると「お前のせいだ」と言って、私を怒鳴りつけ、担任は、母と連絡がつかないと言って、授業中に私を外に連れ出し、私を怒鳴りつけました。
修学旅行の前に盲腸になりました。「即手術!!」という医者を無視し、母は私を家に連れ帰りました。そして「付き添いが必要だから!!」と修学旅行に参加。熱をだしてうなされている私の横でいちゃつく母と担任。旅行が終わり病院に行くと、「あと1日遅かったら盲腸破裂してたよ。」と医者。入院中、担任は母に会いに毎日やってきました。
卒業まで続いた悪夢。
私には母はいません。
190|eiji008|20100417141322

僕も、母親の「女」の部分を、何度か垣間見た記憶があります。
父親の浮気が発覚して以降のことですが・・。
子どもにとっては、本当にイヤなものですね。
自分よりも他の見知らぬ者に心を奪われている・・。
まだひとりでは生きられない子どもには、存在そのものへの不安を喚起させられます。
しかし、他方で、僕は母の寂しさ、辛さを身近に見ていましたから、表には出しませんでした。
肉親というものは、愛憎がないまぜになった、一筋縄ではいかないものです。
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