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無実の人の処刑を許してしまったかもしれない私たちの罪


年に一度の大繁忙期、運転するか肉体労働するか仮眠するか食事するか排泄する以外の、一切の「自分の時間」が持てない日が4日ほど続き、ブログの更新は、過去の文章でお茶を濁してしまったことを、お詫び申し上げる。
カーラジオで聴く以外に、日々のニュースに触れないでいると、いつも頭の上に立てているアンテナの効力は薄れ、もー、世間のことなどどうでもいいや、という思いに駆られていく。
人びとが政治などというものから関心を遠ざけ、思考をマスメディアなどに預けてしまう因というものが、こんなところにあるのではないかと思ってしまう。
天下国家のことに思いを馳せるには、それだけの、こころと時間の余裕というものが必要なんだなと、つくづく思う日々であった。

この日日で印象に残ったニュースといえば、やはり「足利事件」菅家利和さんの完全無罪が確定したことだろう。
本日の朝日新聞では、異例のカメラ撮影を認めた最高検の記者会見の模様が報じられていた。
「理解が不十分だったDNA鑑定の証拠価値を過大評価し、自白の信用の吟味がおそろかになった」と、会見に出席した検察首脳が反省の弁を述べた。
しかし、被疑者が捜査段階から全面否認をしているのにも関わらず、物証は一切なく、「理解が不十分」だった「DNA鑑定」を唯一のよりどころとされ、死刑が確定、執行までされてしまったというきわめて「冤罪」性の濃い事件があった。

飯塚事件

この事件は、近くということもあって、発生当時、小さくない関心を寄せたおぼえがある。
被害者である女児ひとりの親が、知り合いの知り合いの知り合い・・みたいな位置だったから、親の悲しみようが風聞のような形で伝わってきた。

久間元死刑囚が容疑者として捕まり、頑強に否認していたことも知っていた。
物的証拠は皆無で、当時の精度に乏しい「DNA鑑定」のみが「証拠」とされていることに、地元メディアのなかでは疑義を呈するむきもあった。
そういう報道に触れるたびに「これは、冤罪だな、きっと」とおぼろげながらに思いながら、僕は生活者として我と我が家族を守ることのみに汲々として、そういう思いはどこか胸の片隅に置き忘れてしまった。
なんとなく、気になりながらも・・。

そして、無実だった可能性が大きいひとりの人間が、処刑された。

映画「死刑台のメロディ」で描かれた、アメリカの「サッコとヴァンゼッティ事件」は、アメリカの法曹史上最大の汚点として今でも語られている。

サッコとヴァンゼッティ事件

無実の者が処刑される。
これは、法治国家として、いや、人間社会として、絶対に避けなければならない事態ではないか。
無実かもしれないひとが国家によって殺されるかもしれないことを、危惧をおぼえながら見過ごしてきた、これはきっと、私たちの罪だ。

女児ふたりの死に、もうひとつ、無辜の死をつけくわえたかもしれないこの事実が、深く胸に突き刺さっている。

何もできなかった自分を思い知るがゆえに。

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未分類 | コメント(1) | 20100403025443 | 編集
165|くまがわ直貴|20100403233820

 飯塚事件、足利事件は、自白尊重の我が国の捜査過程の杜撰さと同時に、冤罪特有の「真犯人の逃亡」を許し、公訴時効成立と共に真相を葬るという側面も糾弾されて然るべきでしょう。

 特に、足利事件の現場周辺から北関東エリアにかけて、1980年代以降少女行方不明・殺害事件が多発しており、いずれも未解決のままになっています。
 (その内のいくつかは、菅家さんが獄中にいる間に発生しているのです)
 もし、これらが同一犯の犯行だと証明されると、司法制度や捜査機関の責任は到底贖えるものではありません。
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