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「野田路線」政治が、このまま自公と合体すれば、悪夢のような弱肉強食の世になり、被爆者、自殺者、餓死者が後を絶たなくなるのではないか


今のわがニッポン国の現状に対する、筆者の主観的な感慨を感覚的に表現すれば、「腐敗の極にある」ということに尽きる。昨日、テレ朝の報道ステーション、愛知と北陸を結ぶ高速道路の2車線化工事が再開されたことの成果を誇りあう自民と民主の地元政治家の姿を観て、嘔吐にも似た気分に襲われた。

「コンクリートから人へ」というあの印象深いキャッチコピーはどこへ行ったのか。今世紀初頭から腐蝕のスピードを早めてきた自民党政治がついに破局のときを迎え、その腐蝕を止めるかと期待された民主党の裏切りがかえって触媒のような役目を果たして、今やニッポン国は耐え難い腐臭を放ちはじめている。

子や孫たちの未来を思えば、暗澹たる気持ちを覚えずにはいられない。消費税増税に馬車馬のような勢いで突っ走る勢力がのたまう、その「待ったなし」の根拠のひとつに「次世代にこれ以上のツケを払わせないため」という言い回しがあったが、その現政権が次世代に残そうとしているのは、「ツケ」などというものを遥かに凌駕した、「生存不安」なのではないだろうか。

それは、ここ数週間に起こったさまざまな出来事が物語っている。わが町・北九州が先鞭をつけた、被災地瓦礫広域処理の全国的な拡大。まったく信がおけない国の「安全基準」をクリアしているとして、放射性物質を含んだかもしれないモノが全国に拡散されようとしている。裏にある利権を糊塗する「絆」「助け合い」の美名のもと、被災地周辺の子供たちのように、わが子や孫の将来の健康不安もまた、頭から無視されている。

そして、原発利権に深い関わりを持つ仙なんとかが主導する「大飯原発再稼動」への蠢動だ。事故を起こしていないヨーロッパの国々が脱原発を志向するなか、事故を起こした国の、原発ナシで利権のお預けを食っている連中のなりふりかまわぬ醜態は、世界の恥さらしというほかはない。「国辱」とはまさにこういうことを言うのである。

また、政府に再稼動へのアクセルを踏ませた、「関西広域連合」の限定的容認も許せない。今までにみせた、経済産業省や関電に対する厳しい態度は、反原発世論を意識したパフォーマンスに過ぎなかったのか。とくに、180度、態度を変えた大阪市長は、その化けの皮が剥がされたといってもいい。この人物がいかに信のおけぬヤカラであるか、目の覚めるように理解した有権者も多いのではないか。

あとは、生活保護問題だ。一芸能人の、しかも母親の、しかも不正受給ではない事例に対して、あろうことか国会議員が、ネット掲示板と変わらぬメンタリティで糾弾し、厚生労働大臣の受給許可厳正化という言質を引き出したのだ。冒頭で紹介した道路行政や瓦礫処理などにジャブジャブとカネを使うかたわら、「弱いところから削っていく」姿勢をあからさまに見せる現政権。

また、叩きやすい対象を叩きたいというある一定の人々の「暗い衝動」を利用し、それに乗っかった国会議員がとりあげることによって、政治が動くというパターンに対する懸念、危機感、警戒感を、ブログやツイッターでさまざまな良心が表明している。冷静な情勢分析と客観的な判断で行われるべき政策決定が、ひとびとの嫉妬や憎悪や偏見で左右される・・。

こういうことが常態化すれば、まさに「暗黒社会」であろう。小中学校の閉鎖されたクラスの中で行われる「イジメ」のようなものが、国というマクロな規模で行われ、それが現実の政治に反映されるのだ。それでなくてもニッポン国には生活保護受給者に対する偏見が根強い。受けるほうも必要のない罪悪感を抱かされ続けている現状だ。

そこに、社会的に不遇な状態に置かれた者の嫉妬と憎悪が向かう。それが上に向かっていくことはない。弱者が弱者を叩く。統治する者にとっては理想的な国家がずっと続いていくことになるわけだ。そんな世の中に子や孫を送らなければならない。

いつ、自分が、子や孫が、生活保護を受けなければ生きていけなくなるか、そのような想像は常に持っておかなくてはならない。ヨーロッパの金融不安がいつ世界恐慌の引き金を引くかわからない現状が、その可能性を否定することを許さない。

「ツケ」どころの話ではないだろう。「生きていけるかどうか」の話である。仙なんとかとかいう民主党議員は、会談で首相の要請を全面的に突っぱねた小沢一郎氏を「野田政権を否定するものだ」とかのたまったそうだ。それは仕方ないだろう。国民の健康不安と生活不安を置き去りにしたまま、さらにその状態を悪化させる大増税へと突っ走る政権に対し、否定する以外にどんな態度をとればいいのか。

さしずめ仙なんとかは、国民を地獄の底に引き連れていく「獄卒」のような存在だろうが、同じ役割を担っているものに、記者クラブメディア、とりわけ、朝日、毎日、読売、産経、日経の「五大紙」があることは言うまでもない。

昨日のこれら御用新聞各紙の、「小沢-野田会談」を受けての「社説」を読んでみて、いまさらながら絶句してしまった。わかっていたこととはいえ、その劣化の深度のスピードには、軽い眩暈さえ覚えさせる。「権力を監視」すべきジャーナリズムが、いちばん陥ってはならない例を教科書的に明示しているのは、あの戦前、戦中の「翼賛報道」以来なのではないだろうか。


野田首相へ―自民との協調が優先だ(朝日)

野田・小沢会談 「もう一度」は時間の浪費だ(読売)

元代表と平行線 首相、早く見切りを(毎日)

野田・小沢会談 首相は「本気度」を見せよ(産経)

首相は自公との連携へ踏み出すときだ(日経)


これらを読むと、怒りというより、絶望を覚える。どれも、小沢を切れ、自公と連立しろ、09マニフェストなど無視しろという内容だ。ここまで新聞各紙が現政権の提灯持ちをつとめるようになったことは、戦後、例をみないのではないか。しかも内容が薄っぺらい。こんなものを「オピニオン」などと自称するのは、本当に世界に恥ずかしいから勘弁してもらいたい。

先日、NHKに出演した小沢氏は、「野田首相も改革をすすめている」という大越キャスターの言いざまに、「あなたたちマスコミは、旧来の枠組みの発想でしかモノを捉えられない」と痛烈に批判した。この一言で、上記の「五大紙」の「社説」をすべて論破できるのではないか。

それに、小沢を切れ、自公と連立しろ、09マニフェストなど無視しろという言い分は、総選挙で示した国民の意思など反故にしてかまわないと言っているのと同じだ。選挙で示された民意を無視して、自分らが捏造につとめた「世論」に従えというのならば、選挙などする必要などなかろう。「民主主義」をわかったフリしてまったくわかっていないことを全世界に示す記者クラブメディア(東京新聞を除く)は、恥ずかしいから早いところ微粒子まで分解されて、大宇宙に溶け込んでほしいものだ。

大増税、原発再稼動、弱者切捨てに邁進する「野田路線」政治が、このまま自公と合体すれば、悪夢のような弱肉強食の世になり、被爆者、自殺者、餓死者が後を絶たなくなるのではないか。自分の内にある「生存本能」が、そういう警鐘を鳴らしているような気がしてならない。

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未分類 | コメント(-) | 20120601192905 | 編集
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