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大企業が利権を独占してなんの「復興支援」だ?

昨夜、徹夜で北九州―名古屋を走行。この仕事、月に必ず一度か二度あるので、もう慣れっこになり、あまり苦痛を感じなくなってきた。どこで給油し、どこで休憩し、どこで仮眠をとるか、パターン化しているので、かなり楽だ。最初のころは、睡魔との戦いだったが、それも最近はなくなってきた。

で、今は愛知県半田市のビジネスホテルにいる。退屈なので、ブログの更新でも行おうと思って、現在、PCの前にすわっているわけだ。地元北九州では、反対するひとびとの抵抗もむなしく、瓦礫焼却が強行されてしまったが、さっそくそれは、他の地域に飛び火しそうな情勢である。まったく、危惧したとおりだ。

前回の更新では、瓦礫受け入れに前のめりになる北九州市の背後に、市政に大きな影響力を持つ新日鉄の存在があることを指摘した。その根拠のひとつは、同じ新日鉄の企業城下町である岩手県釜石市の瓦礫処理の実態にある。ここは、実際に津波の被害を受けた地域なのだが、その瓦礫処理はどのように行われているのか。

釜石市の震災ガレキ処理ーー結局、新日鐵受注、地元が潤わないのトンデモ実態

先の東日本大震災により発生した岩手県釜石市のガレキ処理につき、新日鐵を始めとする中央の大企業主体で行くか、地元の復興も兼ねて地元零細中小企業主体で行くか、揉めたわけだが、紆余曲折あったものの、結局、釜石市は民意を受け入れず、入札で行くことに決定した。その入札方式は総合評価落札方式による一般競争入札といって、入札価格だけでなく、大手企業に有利な「技術評価点」なるものも加味したものだったため、新日鐵系の共同企業体がまんまと落札に漕ぎ着けていた。


地元被災企業に落ちるべき金を、まんまと中央大企業たる新日鉄がかっさらっていったわけである。きけば、野田釜石市長は前回、無投票当選だったそうな。そこには、新日鉄の意向を無視できない北九州市政と同じような力関係構造の呪縛が働いたのではなかったのか。

しかし、ここでいったん、考えてみよう。「震災瓦礫」とはいったい何か?もともと、それは被災者が、つらい日々の労働に呻吟しながら、爪に火を灯すように貯めたお金でやっとこさ購入したマイホームと、それに伴う家財が大部分なのではないだろうか。

いくらゴミ同然に無価値なものになったとはいえ、あの瓦礫の山は、被災者の心情からみれば、単なる瓦礫の山ではなく、さまざまな思いが投影されたものではないのだろうか。それを恰も私物のごとく「利権のモト」として扱おうとするそのメンタリティには、怖気をふるうほどの嫌悪感を禁じ得ない。

せめて、そう、せめて、である。それを被災地復興のために最大限役に立つ方向で運用するのなら、何も文句は言わない。しかし、あくまで自社の利益、儲けとして取り込んでしまうのだったら、死肉を漁るハイエナとなんら変わるものはない。詐欺行為は大掛かりになればなるほど、まるで合法的な行為に見えてくるものだ。

そして、もっと許せないのは、そんな詐欺的、強盗的行為を、「絆」とか「助け合い」とか、耳障りの良い言葉で美化することである。そうすることによって、自らが描いた利権行為計画に少しでも異を唱える者があれば、「絆を否定する人でなし」というレッテルを貼らせるようにもっていこうとするのだ。

げんに、僕のtwitterの返信には、「東北差別者」とか「復興妨害者」などという悪罵が横溢している。毎朝、ブロック作業に無駄な時間を要しているわけだが、利権に踊るヤカラどもの民衆離間工作がある程度成功していることに歯噛みをしたい思いがする。

つくづく、こいつらは人間の意識が持つ「負」の部分がよくわかっているよなあと感心する。ここをこう衝けば、人間というものはこう反応するものだということをよくわきまえている。まあ、自分らが「負」ばかりの人間だからだろうが。

「分断して統治する」は、為政者の基本だろう。彼らは、あらゆる手を使って、民衆の不満が上に向かわないように腐心する。被統治者が反目しあうような身分制度をつくったり、隣国の人々への反感を煽ったり、領土問題をわざと放置したり、ときどき挑発したりして。

話が逸れ気味なので元に戻すが、ここで一万歩くらい譲って、それらの利権を認めたとしよう。北九州市の窮状は、自分たち市民も憂えているのには変わりがない。なにか起爆剤みたいなものがあって、市の活性化につながるのなら、むしろ歓迎したいくらいだ。

もし、震災瓦礫に放射能の心配がなく、被災者の方々が心底に広域処理を望んでいて、それが「助け合い」になるというのなら、喜んで市の方針を支持するだろう。それは、お互いにとって良いことになるからだ。しかし、放射能という実害の可能性があるのに、利権のために受け入れが強行されるとなれば、話は別だ。

そもそも、瓦礫処理強行の根拠となっている、「一刻も早く被災地の瓦礫を処理しなければならない」という言い分を丸呑みしていいものだろうか?為政者が前のめりになってコトを進めようとするときは、必ず、こういう大上段からの「それが、そうなのだから、そうするしかないのだ。仕方ないのだ」という教条的な「テーゼ」を振りかざす。

「地球の温暖化が進んでいる」とか「日本はギリシャのような危機に陥る」とかがそうだろう。そんなことに騙されてはいけない。「そもそも論」は大事である。根底から疑ってみずから検証することが肝要である。自分の頭で考えて、決して思考を他人に預けてはならない。

とまた、話が本質から外れはじめたところで、猛烈な睡魔が襲ってきた。この続きはまた次回ということで乞御容赦。次回はがれき処理がそんなに急がなければならないものなのかを検証し、ちょこっと生活保護についても触れていこうと思う。

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未分類 | コメント(-) | 20120527044857 | 編集
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