ひとりでテレビを眺めているとき、番組内容などに、思わず声をあげて突っ込むことが、最近、多くなった。。
一方的な報道の姿勢や、無責任なコメンテーターの放言に対するのはもちろん、あまりにくだらないバラエティ番組や、何が面白いのかさっぱりわからないCMに対してまで毒づくので、妻からはうるさがられ、ときには気味悪がられたりする。
まあ、それだけ歳をとったということもあるのだろうが、やはり、無意識のレベルで、それなりのクオリティを、局側に求めているということなのだろう。
最近の民放の番組は、一部のドラマを除いて、ほとんど見るべきものがない。
ニュースにしたところで、今回の一連の「小沢『疑惑』報道」を見る限り、検察のリーク情報を垂れ流すだけで、たとえば独自取材で「真実」に迫るような姿勢を見せた局が、一局でもあっただろうか?
正反対に、「石川容疑者が小沢氏の関与を認める供述」などといった虚偽の報道を流し(安田弁護士の接見によって、それはデマだということがわかった)、そのことについての反省の弁も一切ない。
われわれは「嘘の情報」という「不良品」を提供され、それに対する不満の表明は無視されている。
ただ、大新聞と違うところは、民放はぜんぶ、無料で見られるということである。
「タダで見せてやってるんだから文句言うな」という本音は、口が裂けても言えないだろうが、それは、ある意味、スジの通った話ではあるだろう。
「無料だから」・・・そういう意識が深層にあるから、大衆蔑視的な番組が粗製濫造されているといえるのではないか。
僕は、最近、考える。「多少、金を払っていいから、クオリティの高い番組を提供してもらいたい」と。
僕のような視聴者が増えたようで、最近ではゴールデンタイムでNHKの視聴率がダントツなのだそうだ。
僕もそうだ。妻が見るドラマがないときは(笑)たいがい、NHKにチャンネルを合わせている。
それは、決してNHKの番組が特別いいということではなく、「騒がしい民放の番組よりはマシ」という、比較の問題なのだ。
最近はまた、「政治をネタとしたバラエティ番組」が増えてきたように感じる。
政治を面白おかしくショー化し、一知半解のキャスターがしたり顔で政治家をこきおろしたり、お笑い芸人やグラドルまでが無知で舌足らずな評論をする。
僕は、政治家を尊敬しろとはいわない。政治家は国民の僕(しもべ)である。「センセイ」をつけて奉ったりすることには、大きな違和感をおぼえる。
しかし、だからと言って、みだりに見下したような態度をとるのもどうかと思う。
代議士は選挙で選ばれた存在だ。その背中には選挙区の民意を背負っているのだ。そんなに軽い存在では、ない。
テレビに出る議員もまた議員で、時代劇の扮装などして出演したりしているが、自らの位置を貶める、そんな出演はやめておけ、と思う。
道化になって多少の票を稼げることはあるかもしれないが、失うもののほうが、はるかに大きいのではないか。
そういう民放の「政治バラエティ番組」や、報道番組の、主観に過ぎないキャスターの放言が、「政治家=汚い」という意識を煽っているところもあるのではないかと思う。
政権交代によって、せっかく高まってきた国民の期待は、今、自己防衛的な検察の強圧的な捜査と、それとタッグを組んだマスコミのメディアスクラムのせいで、一気に冷や水を浴びせられた格好になっている。
しかし、僕は日本人を信じている。
あれほどのネガティブ報道を受けながらも、まだ、支持率は40%台にあり、そして、名護市長選挙では、民主・社民・国民新党の推した候補が勝利した。
基地の移転問題という特別の争点があったというものの、旧権力側にこの選挙に影響を及ぼそうという意図も必ずあっての一連の動きであったことを僕は確信していただけに、「それほどの効果が無い」ことに、僕は喝采した。
去年の西松問題にしても、あれほどのデッチあげにマスコミが加担したにもかかわらず、有権者は現政権を選んだ。
また、先週、検察の捜査に異を唱える郷原弁護士が出演したテレビ朝日「サンデー・プロジェクト」は、あの時間帯にしては珍しく、10%の高視聴率をあげたそうだ。
日本人の民度は確実にあがっている。
旧態依然の「情報操作」に、そんなにたやすく乗せられる国民ではなくなっていると思いたい。