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権力・メディアの虚妄を撃つ片言隻句集

★「見通しが党内で広がっている」「危機感も高まる」「予想される事態だ」「厳しさを増している」・・・。
いったい、「誰が」そんなことを見通し、危機感を高め、事態を予想し、厳しさを感じているのだ?それは、自分たちではないのか?

★「関係者」とか「政府筋」とか、そういう主格で語られる情報は、100%、信じるべきではない。

★朝日って本当に不愉快な新聞だ。そのわれひとり正しいとする態度がうざくって仕方ない。とりわけ「政治とカネ」になると思考停止して「とにかく疑惑を持たれた政治家が悪い」とこわれた蓄音機みたいにがなりたてる。おそらく「ロッキード事件」とか「リクルート事件」のときの「部数増」の成功体験が忘れられないのだろう。もっと言えば戦前のときに国民の戦意をあおって空前の売り上げを記録したときのことが忘れられないのだろう。こういうことってきっとその社のDNAのようなものにに刻み込まれるんだと思う。

★政治資金が、どこから入り、どう使われたか、それをガラス張りに明らかにしさえすれば、その評価は有権者が決めるべきことなのだ。どうして、「こうあらねばならない」と、一方的な価値観を押し付けられなければならないのか。

★「知る権利」をいちばんに侵害しているのは誰だ。「知らせるべきこと、知らせるべきでないこと」を自分達の都合で恣意的に取捨選択し、世論を操作している自分達ではないか。

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★自党の代表や幹事長が悪しざまに言われるその流れで、なにかあるたびにメディアに媚びるようなコメントを垂れ流す不届き者が(民主)党内にいる。しかし、小沢氏のグループだけが、一切、メディアに媚びることなく、超絶している。目の仇にされる所以であろう。

★大本営発表をそのまま無批判に垂れ流し、国を滅亡の淵に叩き込むことに一役買った大新聞の戦争責任はどう果たされたのか。
終戦時に幹部の幾人かが辞職したにとどまったに過ぎない。(しかも、朝日においては、6年後に全員、役職復帰を果たしたという)

産経新聞は記者会見で45分間の質疑時間中に挙手を続け質問を試みたが、司会役の小川洋内閣広報官は指名しなかった。5月28日の鳩山由紀夫前首相の記者会見でも産経新聞は指名されず、連続して質問の機会が与えられなかった。産経の取材を受けると「政権運営が行き詰まる」と判断されたのか…。(阿比留瑠比)


それは、産経さん、違うだろう(笑)そこまで、大した報道機関ではないと思う。なぜ、嫌われているかは、自分の胸に手を当てて、よく考えたほうがいい。

★考えてみれば、新聞記者のOBを思い浮かべてみて、政治記者出身でろくなのがいない。現在、マスコミの現状に厳しい目を向けているOBジャーナリストのほとんどが、社会部出身である。「政策」そっちのけで「政局」ばかり伝えながら、権力者とべったり関係を築いてきた政治記者に、「ジャーナリスト」を名乗る資格はないだろう。

★誰か言ってたが、世界中の卑劣な奴を集めて卑怯者ワールドカップをやったら、日本のネトウヨはダントツで優勝が狙えるレベルだろう。完全匿名で自ら傷を受けることのない安全地帯から自分のことは棚にあげて他者を叩きまくる。ネトウヨと朝日社説子の行動パターンは、なかなか酷似していると思うがどうか?そう言われたら、どちらも嫌でたまらないだろうけれど(笑)

★「朝日新聞」という、今までの長い間にそのスタンスを「リベラル」と目されてきたメディアが、その仮面をかなぐり捨てて、「旧体制権力のプロパガンダ紙」という本質を露にした、2010年はその歴史的な年であったと言っていいでしょう。

★戦前を思い起こしたい。

満州事変により戦線が拡大する中、朝日と毎日、読売などの大新聞各紙は戦争報道に狂奔し、ともに部数増大を獲得していく。80年前、各新聞は一致して関東軍の軍事行動は自衛権の発動であると弁護し、若槻内閣のなまぬるい態度をせめたて、新聞の「公正・中立」は終わりを告げる。大新聞は連日のように一ページ大の戦線写真の特集号外を発行して「酷寒の地に闘ふ皇軍兵士」の姿を伝えた。「守れ満蒙、帝国の生命線」と。

80年前の民衆のように、新聞の煽動に乗せられて、自らの首を絞める結果になることだけは、避けなければならない。

★政局が起きなければ、自分らで起こそうというのが、この国のマスメディアの行動原理である。

★怪文書を金をとって売っている日本で唯一の新聞社に、「産経新聞社」というのがある。

★記者クラブメディアの主な仕事は、事実を伝えることだと思っていたが、この一年、その認識は大きく変わった。
最近、わかってきたのは、彼らの本当の仕事は、「物語をつくる」ということだ。事実とか現象というものは、実はかなり複雑かつ多面的なものであって、ひとつの事件にも、当事者それぞれの主観で、幾通りもの様相が現じてくる。映画「羅生門」の原作となった、芥川龍之介の小説「藪の中」は、そのことを描いた傑作だ。しかし、記者クラブメディアは、速報性を重視するからか、事実を表面だけなぞり、単純化したあげく、ステロタイプな「物語」として仕上げ、読者(視聴者)の前に差し出してきた。

★彼ら(ネトウヨ)のもっともおかしいところは、「愛国」を標榜しながら、韓国、中国人を敵視するのみで、このニッポン国を戦後支配してきたアメリカに批判の目を向けないことだ。米兵がどんなに日本人少女を強姦し、年寄りを轢き殺して逃げようとも、彼らが抗議の声をあげたことは、一度も見たことがない。

★国民に媚を売る政治家がほとんどのなかで、国民そのものを批判するの政治家は、小沢氏をして空前絶後ではないだろうか。「もっと、国民がしっかりしなければいけない」そんなことを言う政治家の、僕は他に例を知らない。しかし、それは「切り捨てる」言葉ではなく、国や地方の役人や政治家に「何かやってもらう」のを待つのみの、多くの日本人に「自分のために、それでいいのですか?」と自立を迫る問いかけなのだ。

★今のニッポン国の悲劇は、「リーダーの資質と素養のない男がリーダーとなり、リーダーの資質と素養を備えた男が追放されようとしている」ということに尽きる。この「転倒の悲劇」の実態をしっかりと見据え、暴きつづけるのが、目下のこのブログの使命であろう。

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未分類 | コメント(-) | 20110917061300 | 編集
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