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革命、一揆、なんでもいいから、このクニを牛耳ってる者どもをどうにかしたいもんだ。


原発反対派と推進派の相克を、「政治イデオロギーの対立」などと捻じ曲げて解説する「識者」がいるが、果たしてそうだろうか。
「原発は絶対安全だ」「メルトダウンなんて起る筈がない」と断定して、反対派を馬鹿にしてきた推進派の方が、100%間違っていたことは、冷徹なる現実が証明しているではないか。反対派とは「常に最悪のことを想定する」人たちだったのだ。サヨクなどという、そんな狭いカテゴリに入れようとする「作為」に誤魔化されてはならないと思う。




原発は「カネの成る木」であり、その木に、政治家、関連企業、御用学者、官僚、御用マスコミから、ヤクザに至るまでが群がり、おこぼれにあずかってきた。
原発を推進してきた原動力は、そういう「利権あさり」への飽くなき希求ばかりではない。
そこには、この国の支配層が潜在的に持ってきた欲求がもうひとつある。それが「核武装」だ。




民衆の広範な決起を「職業的な運動家組織による煽動」と「矮小化」したがるその意識の底には、明らかなる「恐怖」があり、また、「焦り」があるのだろう。「政・官・業・学・報」一体となって推し進めてきた原発政策の破産は、何よりも瓦礫と化したフクシマの原子炉建屋と、メルトダウンにより放出された放射性物質による汚染と、毎時5センチずつ地下に侵食していく溶融した燃料棒の「チャイナ・シンドローム」状況が証明しているというのに。




戦争とか原発とか、国家がここを先途と推進するモノに対し、どういう態度をとるかによって、その文化人の「質」があらわれてくる。




焦燥に似たものが湧き上がってくる。
電力を盛大に消費することによって、それなりの生活を維持してきた僕らの世代が、次の世代にツケをまわしている。
その罪滅ぼしは、子供たちを見殺しにし始めた政府と東電に、大きな声をはりあげて物申すことしかできない。
それを、やり続けなければならない。




いったいに、このニッポン国は、「子供達の安全」ということに対する意識が低いような気がします。
何よりも安全を第一に考えなければならないのに、安全以外の価値観を第一に持ってこようとする。
命を軽視しているんです。




09年夏の「政権交代」のとき、少なくとも「菅直人」という政治家は、従来よりの官僚主導の自民・財界癒着の構造に風穴を開ける旗手だと思っていた。
権力を掌握すると、確かに多少、人というものは変わるもんだということは理解しなくもないが、これほど極端に節を枉げた政治家の例も、古今、珍しいのではないか。




今まで原子力政策を推進してきた者どもが、あの福島第一原発事故の深刻さをいちばんわかっていないらしいことに、怒りを通り越して、滑稽ささえおぼえている。
ニッポンの原子力政策を真っ向から否定したのは、首相ではなく、「フクシマ事故」そのものであるということが、どうして理解できないのか。

認めたくないんだ、政府も国民も、あの生暖かく居心地の良かった「平和・ニッポン」が、福島第一原発一号炉の水素爆発によって終焉を迎えたということを。

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あの爆発音とともに、わがニッポンは「まともな国家」を装うことが困難になってしまった。
国の存在自体が、「世界にとってのリスク」と成り果ててしまった。
下手をしたら、北半球すべてに悪影響を及ぼしかねない、人類ぜんたいに対する「罪障」を背負ってしまった。

残念なことだが、今まで空気のように当たり前に享受してきた「平和ニッポン」は、すでに過去の遺物となってしまったことを、深く自覚しなければならない。
そう、僕らは今、「非常時」の只中にあるんだ。




以前から、年をとったら、妻の郷里にいくつかある、無人の農家のひとつでも借りて、そこに永住することを夢想していました。
原子力の恩恵を受けているから原発に反対できないと言われるのなら、そこで、最低限の電力だけで暮らしてやろうではないかという気になります。
ドラマ「北の国から」で黒板五郎(田中邦衛)が作った自作の風力発電装置勢作に挑んでみようではないかとも。

いつまでも「電力」を「人質」にされ、脅しの道具として使われるのに終止符を打つためにも、そういう一種の「覚悟」を持つことが自分には必要なのではないか。
最近、そういうことをしきりに考えております。




自民党は、われわれ国民のためには、一度死んでもらわなければならない政党だ。
今の民主党に代わって政権など明け渡してしまえば、想像するだけで目もまわりそうな対米従属、売国政治が猖獗をきわめることになるだろう。


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原子炉の心臓部である炉心が大規模に溶け落ちる「メルトダウン」を防いでいるのは、生身の人間たちの苦闘である。そして、この苦闘は今からまだ何カ月も続かざるをえない。運良く、その苦闘が実を結んで破局的な事故を防いだとしても、破壊された原子炉を始末するには、何十年もの苦闘が待っている(まえがき『放射能汚染の現実を超えて』復刊にあたって)。今こそ読まれるべき原発への警告の書



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未分類 | コメント(-) | 20110821025455 | 編集
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