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過去に原発推進CMに出ておきながら今になって原発をすべて停止せよと広言して恥じない映画監督

ここ数日ほど、持病の腰痛に悩まされ、PCの前に座ることができなかった。
今日になってやっと、完全ではないが、常態に戻りつつあるので、ひさしぶりに更新を試みている。
とは言っても、長文はまだ無理だが。

「現代ビジネス」というサイトが、「原発やめますか、続けますか、史上空前のアンケート」と銘打って、企業のトップや「有識者」にアンケートを行っている。
その内容、結果については、たしかに興味深い点がなきにしもあらずなので、是非、こちらで参照いただくとして、このなかで筆者が「おや?」と思った部分がある。

有識者50人におこなったアンケートの結果は以下のとおりなのだが・・。

 ●国内にある54基の原発をできる限り早く、すべて運転停止すべき→6人
 ●段階を踏んで、順次停止していくべき→30人
 ●福島第一、浜岡の2つのみ停止し、それ以外は稼働を続けるべき→1人
 ●浜岡原発も含め、安全性が確認され次第稼働すべき→7人
 ●答えられない→5人
 ●該当なし→1人


当然のごとく筆者がもっともシンパシーを感じる「すべて停止」の6人とはどのような人々か、そこにまず興味の焦点が注がれるわけだ。
で、仔細に確認をしてみた。

原発やめますか、続けますか 有識者50人の回答

「すべて停止」の面々は、生命科学者の柳澤桂子氏、反骨の老ジャーナリスト・むのたけじ氏、評論家・佐高信氏、ジャーナリスト・鎌田慧氏、哲学者・木田元氏・・・と、ここまではうなずけるというものだが、ひとりだけ、「嘘!?」と思わず叫んでしまった人物がいた。

    映画監督・大林宣彦氏

・・なのである。これだけは、どうしても納得できない。

なぜならば、氏は、1990年代のある時期、九州電力のイメージCMに出演し、原発推進の尖兵として立ち働いた過去があるからだ。
しかし、以下のコメントを読むと、まるでそういう事実がなかったかのようだ。

「発達しすぎた文明はいつか人類を滅ぼすだろう」とは20世紀初頭の警句。現在の知力では2と答えるのが精一杯だろうが、ここは思い切って本能で「怖い!」と。今は知力より本能を信じよう。前進し続けるより立ち止まってみよう。


あまりのことに、筆者は、自分の記憶間違いだろうかと思った。
大林氏と誰かを取り違えていたのだろうかと。
で、こんなときに便利なのがgoogle検索だ。
筆者は、「大林宣彦 九電 CM」でぐぐってみた。
以下がその結果の画像だ・・。(クリックで拡大)

oobayashi.jpg

これで、筆者の記憶に間違いがないことが証明された。

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大林氏が過去の自身の行状を、かくも綺麗さっぱりスルーして、原発をすべて停止すべしと広言して憚らないその心理には、ある意味、決して少なくない興味が湧くことを禁じえない。

そう、たしかに人の考えは変遷する。筆者とて、例外ではない。
ただ、自身の言動を180度変えるには、それなりの説明が必要だろう。
説明があれば、納得するのだ。
今の氏の、「反原発」への姿勢を評価するためには、その「説明」がほしいのだ。
でないと、信じられない、と思うのは筆者だけだろうか?

氏は、まさか、どうせ十数年も前に九州地方だけに流されたCMであるからと高をくくっているわけではあるまい。
もしそうだとすれば、人の記憶をバカにするもんじゃないと言いたい。
少なくとも、尾道三部作や、「異人たちとの夏」などで、少なからず感性をくすぐられた者としては、CMで原発の必要性を諄々と説く姿には落胆させられたのだ。
だからこそ、その記憶は強烈に残っているのだ。

もっと言えば、九州をバカにするなと言いたい。

たとえば、絵本作家・長谷川集平氏のHPに、以下の記述がある。

●十数年前、九州電力が原発CMに大林宣彦監督を起用した。テレビやラジオでひっきりなしにかかった。彼の代表作「転校生」の原作『おれがあいつで あいつがおれで』(80年 山中恒)のぼくは挿絵を描き、映画のポスターなどにも使われている。こういう場合のぼくの立場を考えた。

1982年にウディ・アレン監督が西武百貨店の宣伝に起用された時、日本みたいな辺境だからできるんだろうねと言う人がぼくのまわりに多かった。欧米でやれば顰蹙(ひんしゅく)を買うだろうと。同じことをぼくは思った。九州だから大林さんは出たんだ。東京なら叩かれるだろう。
山中恒さんを長崎にお呼びした時に、ぼくはそのことを言った。知らなかったと言いながら、意外にも山中さんは大林さんを弁護した。「だって電力は必要じゃないか」その言い方はきっぱりしていて、友人をかばってるだけじゃないように感じた。

戦争協力者たちを徹底的に批判する山中さんにしてこうなのかとぼくは愕然とした。今、大林さんや山中さんがどう思っているか聞いてみたい。俳優やタレントと違って、表現者の責任は重い。そういう自分も何かに加担しているかもしれない。必要なのは罪を犯さないことではなく、絶え間ない回心だ。(後略)


大林氏が「回心した」というのならば、まず、過去、原発推進に協力したことを、真摯に自己批判するべきである。
そして、九電から貰った巨額の出演料を、即刻、被災者に寄付すべきである。
原発推進の当事者であったことから、逃げてはいけない、誤魔化してはいけないのだ。

しかし、山中恒にもガッカリだ。
戦前・戦中、多くの文学者が戦争協力したことを思い出す。
戦争とか原発とか、国家がここを先途と推進するモノに対し、どういう態度をとるかによって、その文化人の「質」があらわれてくる。

原発推進に協力した文化人は、この画像のとおりだ。

kinyoubi.jpg



「巨額の出演料を大林氏が貰ったとどうしてわかるのか?」
そういう声が聞こえてきそうだ。
これは、あくまで推測である。断定はしない。
ただ、そう推測するための状況証拠めいたものはあるのだ。

たとえば、週刊金曜日に掲載されたこんな話。

東京電力をリーダーとする電気事業連合会(電事連)がいかに巨額のカネを使って世論を買い占めてきたか、そして、その手先となつてノーテンキなタレントや文化人が原発安全神話を鼓吹してきたか。それを糾弾するためはまず二つの事例を紹介する。
 一つはアントニオ猪木の青森県知事選挙応援事件である。猪木の秘書だった佐藤久美子の『議員秘書捨身の告白』(講談社)によれば、最初、原発一時凍結派の候補から一五〇万円で来てほしいと頼まれた猪木はその候補の応援に行くつもりだったが、推進派のバックにいた電事連から一億円を提示され、あわてて150万円を返して、そちらに乗り換えたというのである。 
 まさに札束で頬を叩くこうしたやり方は、高木仁三郎のような筋金入りの反対派にさえ試みられる。 
 高木の『市民科学者として生きる』(岩波新書)に、ある原子力情報誌の編集長から、三億円を用意してもらったので、エネルギー政策の研究会を主宰してほしいと誘いがあったと書かれている。三億円について、高木は「現在だったら一〇〇億円くらいに相当しようか」と注釈をつけているが、猪木の一億円もいまでは何倍かする必要はあるだろう。

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/453.html


映画制作には巨額なカネが必要である。
映画監督が頻繁にテレビ出演する所以は、ここにあるのだろう。
アントニオ猪木のように、大林氏も札束で頬を張られたクチなのではないか。
あくまで、推測だが。


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これでいいのか福島原発事故報道

第1章 「想定」されていた原発事故/第2章 原子力開発における言論抑圧と安全神話の形成/第3章 低線量被ばく報道はこれでいいのか/第4章 原子力、報道と広報の限りなき同化/第5章 原発労働者“被曝”の実態/第6章 「原子力安全キャンペーン」の系譜と「がんばろう日本」の仕掛け人/第7章 「脱原発」の声と運動はどう報道されたのか/第8章 バラ色の原発推進論とメディアの責任/資料編 メディアが重視しなかった大切な声明集


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