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「電力不足」という「脅し」に屈しない「覚悟」が必要かも

またまたお久しぶりです。

4泊5日の検査入院のあと、体調がすぐれず、安静の日日を送っていました。
以前のような毎日更新は、気力と体力が追いついていかず、むずかしくなってきています。
これからは、マイペースで細く長く続けていこうと思います。
よろしくお願いします。

安静の日日の間、いろいろ本を読んだり、映画を観たりしておりました。
NHKが、毎月の出資者(視聴料を払っている視聴者)の承諾も得ず、勝手に衛星放送の新体制をスタートしましたね。
新体制とは聞こえがいいですが、要するに3チャンネルから2チャンネルに減らしたに過ぎません。
そのぶん、視聴料から割り引くべきだと思うのですが、どうでしょうか。

ま、それはともかく、この間、その衛星放送で、小津安二郎監督の名作「東京物語」が放送されていましたので、録画して観ました。
この異常なまでに坦々とした、透徹した静けさに溢れた映画に、それなりの感銘は受けたのですが、それはまたいつの日か綴るとして、観ていてやたら気になったのは、昭和28年勢作のこの映画の登場人物が、常に団扇を手にしてさかんに自ら(あるいは、話し相手)を扇いでいる場面が多いことでした。

よく考えれば当たり前のことなのですが、この時代にはエアコンがなかった、ということに、ちょっとした衝撃を受けました。
その数日後に観た熊井啓監督の映画「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」でも、主人公の新聞記者(仲代達矢)が、新聞社の編集室の中で、ネクタイをゆるめ、胸をはだけながら汗だくになって団扇を扇いでいる場面が幾度となく出てきていました。
エアコンが世に広まる前の日本人は、今と変らぬ酷暑の夏を、団扇(やがて扇風機)ひとつで乗り切っていたのでしょうか・・。

たしかに、暑さを避け、涼を求めるさまざまな試みが、やがてひとつの文化となって確立されていきました。
打ち水、風鈴、簾、水浴び、夕涼み、かき氷、果ては夏に決まって封切られる怪談映画まで・・。

何が言いたいかといいますと、エアコンなしでも昔のひとは、さまざまな工夫で夏を乗り切っていたということです。
「電力不足」を理由に、僕らはまるで脅されるように「節約」を求められつづけています。
自然の脅威を侮ったすえに、世界史に残る未曾有の大事故を惹起させた電力会社に、いまいち追及の声が挙がらないのは、メディアをはじめ、企業や僕ら国民自身に「電力がないと生きていけない」という根源的な恐怖があるからではないでしょうか。

そう、たしかに、僕らは好むと好まざるにかかわらず、「電力がないと生きていけない」社会に生まれ育ってきました。
よく原発に反対する主張をすると、必ずと言っていいほど、「原子力の恩恵を受けてきたことを忘れるな」という批判を受けます。
僕は何もこちらから頼んで原発の電気を恵んでもらっているわけではありません。
僕個人が使う電気は、たかがしれています。
化石燃料には限りがある、だから原子力が絶対に必要だという理屈は、企業や国家の都合でしょう。

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以前から、年をとったら、妻の郷里にいくつかある、無人の農家のひとつでも借りて、そこに永住することを夢想していました。
原子力の恩恵を受けているから原発に反対できないと言われるのなら、そこで、最低限の電力だけで暮らしてやろうではないかという気になります。
ドラマ「北の国から」で黒板五郎(田中邦衛)が作った自作の風力発電装置勢作に挑んでみようではないかとも。

いつまでも「電力」を「人質」にされ、脅しの道具として使われるのに終止符を打つためにも、そういう一種の「覚悟」を持つことが自分には必要なのではないか。
最近、そういうことをしきりに考えております。

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