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棄民化されつつある被災者たち。「子供が餓死」という話も。

テレビ放送が通常にもどってきた。
お笑いを基調としたバラエティ番組が、普段と変わりなく放送されるようになった。
暗いニュースばかりを聞かされ、気が滅入っている向きにはホッとすることなのかもしれないが、ニッポン国が戦後最大の危機の渕に立っている中で、とてもではないが、笑う気にはなれない。
福島第一原発の状勢は、まるで「モグラ叩き」の様相を呈している。こちらの対処に集中すれば、あちらの問題が湧き起こってくる。最悪の事態を想像すると、胸がしめつけられるように不安になってくる。そんななかで、お笑い番組を放送することへの違和感を覚えるのである。
だが、あの昭和天皇が死去した23年前のときのように、今回もレンタルビデオ店が繁盛したそうだ。テレビが娯楽を提供しなくなると、すぐ起きる現象だ。僕のように、ニュースから目を離せないという種類のコクミンばかりではないようである。
しかし、せっかくお笑い番組の放送を復活したのに、CM枠にはAC(公共広告機構)のCMのみが悪夢のように繰り返されているのみで、民放のキモである「CMを視てもらう」という最大目的が、意味のないものになっている。仕事自体を自粛している企業スポンサーが一斉に撤退しているのか。これでは、テレビ局も大変だろう。

ところで、被災地の状況が深刻の度を増しているようだ。
燃料や食料、医薬品に至るまで、圧倒的な不足が伝えられている。

なぜ自衛隊を使って被災地に、食料、毛布を投下しないのか (日刊ゲンダイ2011/3/16)

「食料、水がない」「毛布をくれ」「ガソリンもない」――。

東日本大震災から5日経ったが、各地の避難所が深刻な危機に瀕している。阪神大震災の時は地震発生後4日目には食料などが行き渡り、被災者は一息ついた。ところが、今回は生き残った被災者が飢えと寒さという“2次被害”で苦しんでいる。

津波で町全体が根こそぎ破壊されたため、道路、列車が使えない。海には大量の浮遊物があり、船も容易に近づけない。仙台空港は水浸し――という事情はあるにせよ、この混乱はひどすぎる。明らかに政治の責任、大失態なのである。

(中略)

この大惨事に菅は何をやっているのか。その間にも被災者は飢えと寒さに苦しみ、体力を消耗している。彼らの飢えを救っているのはボランティアの炊き出しなのである。パフォーマンスをやる暇があったら、被災地に食料、水、毛布、ガソリンを届けることに全精力を傾注すべきだ。

自衛隊を動かし、米軍に協力を求め、道路が寸断されているのであれば、空から物資を投下すればいい。とにかく、これだけモノがある日本で、避難所に食べ物がないとはどういうことか。あり得ない政治の怠慢なのである。

軍事評論家の世良光弘氏はこう言う。

「私も小松基地にあるC130を出して、食料を投下すればいいと思います。なぜ、それができないのか。これも菅首相のパフォーマンスのせいです。首相は当初、2万人だった自衛隊の動員数を5万人、10万人と上積みさせましたが、幕僚は何も聞いていなかった。首相が思いつきで口にしたことなんです。5万人がいきなり10万人になり、現場は大混乱になった。そのため、今度の震災の指揮系統を東北方面隊にするという決定も大幅に遅れた。自衛隊はなかなか、本格的な活動ができなかった。確かに72時間以内に生存者を探すことは大事ですが、自衛隊は首相のパフォーマンスに振り回されている格好です」

軍事評論家の神浦元彰氏は「C130からパラシュートで落とす場合は高度150~200メートルが必要。その高さから投下すると、風で流される。ヘリで運ぶ方が確実と思っているのだろう」と言う。

とはいえ、食料はあるのである。自治体が動かず、ガソリンがないから配れない。だったら自衛隊がヘリでも輸送機でも使って、フル稼働するしかない。

とにかく、避難所の被災者52万人が生きるか死ぬかという瀬戸際だ。菅のパフォーマンスは論外だし、政府は手段を選ばず、何でもやるべきなのである。


輸送する手は、最低でも打っているのだろうが、道路事情や燃料不足、そして何よりも被災地域の広大さがこういう事態をもたらしているのだと思う。被災地域が比較的狭く、大阪という大都市が隣接していた神戸と比べるのは、ちと酷かもしれない。しかし、それにしても、対応が鈍いような気がする。昨日から、いろんな物資が船積みされて被災地に向かったそうだが、遅きに失したといえないだろうか。

衝撃的な情報を目にした。以下は、俳優の辰巳琢郎のブログから抜粋したものだ。

「地獄ですよ、辰巳さん…」

安否を心配していた、石巻の友人から衛星電話がかかって来ました。

4年間、東北地方の町おこしを応援する番組を担当していたおかげで、各地に友人がいます。そして彼らの多くが被災しました。心配だけど、何も出来ない自分がもどかしく、ただ過ぎて行く日々。ブログも暫く書けませんでした。でもそれじゃいけない。彼の言葉で目が覚めました。

「この状況を、たくさんの人に伝えて下さい。死体がゴロゴロなんですから。避難所にいるのに、食糧がなく、子供が餓死してるんですよ。お願いします、辰巳さん!」

長年この世界で生きていますから、テレビの裏も表も、良いところも悪いところも、大体わかります。仕事が延期になり、終日地震報道を見ていましたが、やはりそうでした。画面に映し出されるのは、恐怖シーンと感動シーンばかり。冷徹な目で現実を見つめても、それらは番組にならなかったり、放送コードに引っかかったりするんです。大体、撮影クルーが入れる、比較的安全な場所の映像しか、テレビで見ることは出来ないと思って間違いありません。でも、様々な材料から、現実を想像することは出来ます。想像力を精一杯働かせて、自分達に何が出来るか、何をすべきか、しっかり考えましょう。

(後略)

辰巳琢郎オフィシャルブログ「道草日記」
http://ameblo.jp/tatsumitakuro/entry-10831822328.html


もしこれが事実だとして、どんな災害が起ったにせよ、生き残った、今、生きていた子供を餓死させたのは、国の恥、社会の恥とは言えまいか。
ここはニッポンだ。子供が飢えて死ぬなんて、第三世界の途上国のような事態・・・本当に、言葉を失う。

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辰巳さんが「比較的安全な場所の映像しか、テレビで見ることは出来ない」というのは、真実だろう。きっと、被災した、死をまぬがれた人々は、さまざまな、凄惨で残酷な現実を目にしたに違いない。それが、どういうものかは、以下の文章を参考にしていただきたい。

 死体が、至るところに転がっていた。引きちぎられた死体、泥土の中に逆さまに上半身を没し両足を突き出している死体、破壊された家屋の材木や岩石に押しつぶされた死体、そして、波打ち際には、腹をさらけ出した大魚の群のように裸身となった死体が一列になって横たわっていた。
(略)
 死体の多くは、芥や土砂の中に埋もれていた。生き残った住民や他の地方から応援に乗り込んできた作業員たちの手で収容されていたが、掘り起こしても死体の発見されない場所が多い。
 そのうちに経験もつみ重ねられて、死体の埋もれている個所を的確に探し出せるようになった。死体からは、脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上に一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の湧く個所があるとその部分を掘り起し、埋没した死体を発見できるようになったのだ。
 海岸には、連日のように死体が漂着した。人肉を好むのか、カゼという魚が死体の皮膚一面に吸いつき、死体を動かすとそれらの魚が一斉にはねた。

吉村昭「三陸海岸大津波」”明治二十九年の津波”より



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