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津波の規模が果たして「想定外」だったのか?原発設計者の「いいかげん」に怒る

やっと、確定申告の書類を書きあげて、深夜の町を税務署まで車を走らせ、玄関前の収受ポストに突っ込んできた。これでなんとか、15日に間に合ったワケだ。
毎年、こんな感じである。本当に、尻に火がつかないと動きはじめないこの性格が、何度、わが人生を狂わせてきたか(ー'`ー;)

特に、昨日、今日、福島第一原発の情勢が緊迫し、テレビを横目で見ながらの作業だったので、集中できなかった。朝から何度、「え~!?」と声をあげたか、わかったものではない。悪いニュースばかりで、気持ちが暗くなる一方だった。この先、この国はどうなってしまうのだろうと、ため息をつきながら、電卓をたたき続けていた。

津波が襲来する前と後での、真上から空撮した福島第一原発の写真をみたが、周辺のタンクや付属設備が、丸ごと持っていかれてしまっている。原発の安全機能は、「想定外」の巨大津波が押し寄せた段階で、あらかた失われていたのだ。お手上げの状態だったのだ。初期の原子力安全保安院の、まわりくどく、何を言っているのかわからない「説明」は、その「お手上げ状態」を隠蔽したい心理がはたらいていたからではなかったのか。

机上の確率論から、「こういうことは有り得ない」ということが、まさにに有り得てしまったということか。
「ギャンブラーの誤謬」という言葉を思い出す。赤に賭けるか、黒に賭けるかのルーレットで、赤が連続9回出たとする。では、10回目も赤が出る確率はどのくらいか。2分の一の十乗だから、ほとんど赤が出る確率はない。100パーセントに近い確率で、次は黒だ。

経験の浅いギャンブラーなら、そう考える。しかし、次も赤が出てしまう。こんな稀有なことがあるだろうかと、ギャンブラーは驚く。
しかし、ぜんぜん不思議ではない。なぜなら、それは錯覚だからだ。何回連続して赤がでようとも、そんな「過去」のことは、未来を決定する何の根拠にもならない。
10回目にルーレットが回転する直前の時点で、赤が出る確率は、2分の一なのである。

こんな、原発の機能を破壊するような大津波が来るはずがない。原発の設計者は、そういう気分だったのだろう。それは、「10回目は黒がくるはずだ」と希望的観測を抱くギャンブラーと似てはいまいか。しかし、驚くような「偶然の一致」は、頻繁に起こるものだ。こんな例がある。

アメリカのある教会では、いつも7時20分から、合唱の練習が始められていた。
ところが、その日、15名の聖歌隊員は、時間になっても、一人も集合しなかった。
そして、7時25分に、その教会で大爆発が起こり、建物が大倒壊。
もし、隊員達が定時に集合していたら、大惨事間違いなし。
では15名の隊員達は、なぜ定時に集合しなかったのか?、
実は、それぞれが全くバラバラの事情で、たまたま出掛けるのが遅くなっただけだった。

・なぜか親子そろってうたた寝をしてしまった。(2名)
・なぜかその日は『宿題を終えてから行こう』という気になった。(1名)
・自分の家の車が故障し、一緒に乗せて行ってもらうことになっていた友人の遅刻のしわ寄せで、自分も遅刻した。(2名)
・ラジオ番組をどうしても最後まで聞きたくなり、『今日だけなら遅刻しても ‥‥‥ 』という気になった。(2名)
・体がだるくて、なかなか腰を上げる気になれなかった。(1名)
・提出が迫ったレポートを書いていて、思ったよりも時間がかかったために遅刻した。(1名)
・自分の腕時計が遅れていることに気がつかずに、定刻通りに家を出たつもりでいて遅刻した。(1名)
・ぐずる子供たちの支度に手間取り遅くなった。(1名)
・その他、不明 (4名)

http://motomiya.livedoor.biz/archives/50594938.htmlより


僕も、初めて行った石川県の加賀市で、中学校のときの無二の親友にばったり会ったことがある。
親友は、たまたま出張で、やはり、生まれて初めて来た町に来ていたところだったというのだ。
地元の北九州でばったり会うのなら、まだわかる。また、東京や大阪などの大都市で出会うのも、あってもいいかなと思う。
お互いに初めて来た、地元から千キロ以上離れた名も知らぬ小さな町で、同日同時刻にばったり出会ったのである。
その確率を計算したら、天文学的な数字がはじき出されるのではないだろうか?

「想定外の出来事」なんて、実は頻繁に起こるものだ。
歴史に残る大惨事は、さまざまな「有り得ない偶然」が重なり、群がり起こることで発生したのではなかったか。
そういうことに比べれば、何度も津波の惨害に襲われた三陸海岸で、大津波の再来はじゅうぶん予測できたはずである。

 私は、田野畑村村長早野仙平氏の案内で、同村の一字(あざ)である羅賀の村落に入った。車は、海岸線をつたわって羅賀の村落に入ると、急坂をのぼって坂の中途でとまった。中村氏の家は、そこからさらに石段をのぼった高所に建っていた。
 中村氏は、当時十歳の少年で端午の節句の夜、家で遊んでいた。小雨が降り、家の周囲には濃い霧が立ちこめていた。
 突然、背後の山の中からゴーッという音が起った。少年は、豪雨が山の頂きからやってこたのだな、と思った。
 と、山とは逆の海方向のある入り口の戸が鋭い音を立てて押し破られ、海水が激しい勢いで流れこんできた。
 祖父が、
「ヨダ(津波)だ!」
 と、叫んだ。
 中村少年は、家人とともに裏手の窓からとび出すと、山の傾斜を夢中になって駆け上がった。
 翌日、海も穏やかになったので、おそるおそる家にもどってみると、家の中にはおびただしい泥水にまじって漂流物があふれていた。
 その話をきいた早野村村長は、驚きの声をあげた。田野畑村の津波をふせぐために設けられている防潮堤の高さは八メートルで、専門家もそれで十分だとしているが、
「ここまで津波が来たとすると、あんな防潮堤ではどうにもならない」
 と不安そうに顔を曇らせた。
 中村氏の家は、かなり高い丘の中腹に建っている。そのあたりの地形は、当時とほとんど変りはないし、そこまで波が押し寄せてきたとは想像もできなかった。
 私は、村長と中村氏の庭先に立ってみた。海は、はるか下方に輝き、岩の白い波濤がくだけている。
「四〇メートルくらいはあるでしょうか」
 という私の問いに、村長は、
「いや、五〇メートルは十分にあるでしょう」
 と、呆れたように答えた。
 羅賀は、楔を打ち込んだような深い湾の奥にある。押し寄せた津波は、湾の奥に進むにつれてせり上がり、高みへと一気に駆けのぼっていったのだろうが、五〇メートルの高さに達したという事実は驚異だった。

吉村昭「三陸海岸大津波」”明治二十九年の津波”より。


平成16年というから、今から7年ほど前に、故・吉村昭氏は、過去に三度も三陸海岸を襲った津波の取材に、岩手県田野畑村羅賀を訪れた。そのときに、明治二十九年の大津波を体験した故老に、当時の話を聞き取った。この話で、明治期の大津波が、いかに巨大なものであったかがわかる。
今回も、この、「田野畑村羅賀」を襲った津波は、すさまじいものであったらしい。

観光の仕事でお世話になった岩手県田野畑村では、ホームページによれば、明戸の「ホテル羅賀荘」は5階まで浸水したそうである。海岸近くのV字型の谷の入口にあり、10~20mの高台にあったはずであるが、そのさらに5階まで浸水したとなると、被害の大きさは予想をはるかに超えている。羅賀地区の谷の奥の方は三陸大津波で50m程の高さまで坂を海水がのぼったと説明を受けたが、今回はそれよりはるかに大きな被害が心配される。

「まちづくり連れ連れ騒士」”「死なない」「死なせない」”より引用
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/matiplanplan/view/20110315/1300149789


吉村氏の記述に対し、「それは年取った故老の記憶違いだろう」という反論があったそうだが、今回の津波で、吉村氏の書いたことが真実と証明されたようだ。

ともあれ、これほどの大きな津波が過去にあったのである。どうして、設計の折に、このことが考慮されなかったのか不思議でならない。
今回のことで思い知ったように、原発は、人類にとって、危険きわまりない装置である。だからこそ、「最悪の事態」を想定して、そこから足し算して対策を講じるのが本道だろう。

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あんな巨大な津波が、また起きるはずがない。そんな確率はゼロに等しい。
そんな、錯覚に支配されたギャンブラーが、実は「2分の一の確率」であることに気づかなかった。
そのことが齎した代償が、少しでも軽減されるように、今は、東電の「頑張り」を期待するしかない。
それには「命の犠牲」が伴うのであるが・・。

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明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。
大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか-前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言を元に再現した震撼の書。




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