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「記者クラブ」という閉鎖的な談合組織がメディアの「日本的停頓」をもたらしている

NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第三回「熱狂はこうして作られた」を観た。
あの酸鼻を極めた15年戦争にニッポン帝国が雪崩れこんでいったことに、メディアがどれだけ大きな役割を果たしたか、メディア自身がかつてのメディアの戦争責任を抉り出したという点で、限定的にではあるけれど、一定の評価を下しても良いのかもしれない。

ずっと長い間、戦前・戦中のメディアは、軍部主導による戦争政策に言論の自由を奪われた「被害者」のようなイメージを抱かされていたのは、僕だけではないだろう。それは、とりもなおさず、凄惨な戦争への「水先案内人」をつとめた重大な「戦争責任」について、メディア自身が十分な自己批判を行ってこなかった証左ではないかと思うが、Nスペの「自社の営業利益優先を動機とする新聞各社が、むしろ、積極的に戦意を煽動した」としている点は画期的ではないだろうか。

ただそれは、自己の都合の悪いことにかんしては、蓋を閉じた貝のように黙り込む体質のメディアが意識して触れてこなかっただけだ。そんなことは、さんざん指摘されてきた「当たり前」のことだったのである。

今に通じる80年前の官僚とメディアの関係

昨日、本棚を整理していたら、一番上に平積みしていた埃だらけの本の中から、岩波新書の「昭和史」を見つけた。
若い頃、読んだなあ、と思いながら、ページをめくっていたら、「五・一五事件」の章の、いちばんはじめのところが目に止まった。

 新聞雑誌の役割
 満州事変から上海事変へと戦争が拡大するにつれて、新聞、雑誌、ラジオを通じて軍国主義の宣伝が活発におこなわれるようになった。
 満州事変の前までは、あるていど軍部を批判してきた新聞も、中国での戦争については「国策支持」の方針をとり、たがいにせりあいながら軍国調をたかめていった。大新聞は、その通信網を駆使して現地の戦況や将兵の近況を速報し、地方新聞や群小新聞を圧倒する絶好の機会をつかんだ。事変報道のため「朝日」「毎日」両社が満州に特派した記者はそれぞれ五十名を超えていた。
 戦争がおこった直後から、各新聞は一致して中国側の排日行動をならべたて、関東軍の軍事行動は自衛権の発動であると弁護し、若槻内閣のなまぬるい態度をせめたてた。満州事変が拡大すると、大新聞は連日のように一ページ大の戦線写真の特集号外を発行して「酷寒の地に闘ふ皇軍兵士」の姿を伝え、「守れ満蒙、帝国の生命線」と、恐慌になやむ国民の感情に訴えた。  (岩波新書「昭和史」P87~P88)


それまで軍部に批判的だった大新聞の論調は、満州事変をきっかけとするかのように、徹底した「戦争協力」へとその姿勢を激変させる。中国侵略戦争へと暴走に暴走を重ねる関東軍に肩入れするだけでなく、その代弁者として「なまぬるい」内閣の尻を叩くことさえ、平然と行っている。(新聞はしばしば政府の外交政策を「弱腰」「軟弱外交」という形で批判し、対外強硬論を煽る役割も果たした。Wiki「マス・メディアと戦争責任」
朝日は、自身のそのときの変貌の原因をどのように総括しているだろうか。

昭和6年10月1日の大阪朝日の社説は、それまで堅持してきた「中国ナショナリズムの積極的肯定の理念」と「東北各省は中国の一部といふ認識」を捨て、満州国の設置が必要だという主張に転換したのですが、その背景として、「事変直後から内田良平ら大物右翼が大阪朝日に面会を求めていた。在郷軍人会などの不買運動も起きていた」と記事は説明しています。大阪朝日は当時、「普選と軍縮の高原」と呼ばれた高原操編集局長を擁し、軍部と「全面対決」していました。
それがなぜ「変節」したのか。その謎に記事は迫ったのです。むろんこの謎はこれまでも研究されてきました。
元朝日新聞記者・後藤孝夫の『辛亥革命から満州事変へ──大阪朝日新聞と近代中国』(昭和62年)によると、高原は当初、「関東軍への疑惑をいだきながら、その拡大を最小限に食い止めるための苦心の論法」をとった。だが、10月1日の社説「満蒙の独立、成功せば極東平和の新保障」で「百八十度の転換が起こった」。この「豹変はいかにも唐突」で、その背後には「右翼の恫喝」があった、と後藤は推理しています。   (斉藤吉久 大新聞はなぜ「戦争協力」に転換したのか


世論と右翼の圧力という、いわば、「外部要因」によって社論が右旋回せざるを得なかったかのような、これは言い訳であろう。資本主義社会の新聞社が持つ、逃れることのできない宿命的な「内部要因」が、積極的な「軍部官僚」への協力という結果をもたらした。
では、その「内部要因」とは、いったい、何だったのか。
満州事変勃発のこの当時、新しいメディアとして、ラジオ放送が登場してきた。その速報性は、大新聞にとって、収益を脅かすものとして、深刻な焦りを生じさせた。インターネットという、思うような世論操作の困難な媒体が登場してきた現在と酷似しているのだが・・。

外力による曲筆は記者にとって無念以外の何ものでもありませんでしたが、新聞ビジネスにとってはまさに時の氏神でした。『朝日新聞社史』によれば、「事変発生とともに朝日新聞の部数は増え続け、7年2月29日には『事変以来、今日にて東朝20万、大朝27万余部増加』と記録される増加ぶりだった」のです。
政府による情報統制が進むことで販売経費は節減され、紙不足の時代にもかかわらず発行部数は戦後の高度成長期を上回る勢いで拡大し、昭和15年には全社で300万部を超え、社の収入は増大したというから、笑いが止まらなかったでしょう。『朝日新聞七十年小史』(昭和24年)などは「経理面の黄金時代」「新聞は非常時によって飛躍する」とまで表現しています。これが「無念の転針」の実態でした。(同)


新聞は「社会の公器」として「自他ともに認められている」ということになっている。「国民の知る権利」を守る「良識」の代表という、いわば「ええ格好しい」で体面を取り繕い、自らを「あらゆる利害から超越した存在」と暗に僭称して、「社会悪」なるものを暴き、叩いてきた。
しかし、その実態は、資本主義社会で競争を強いられる一営利企業でしかなく、自社の収益のためなら、真理でも正義でも、悪魔に売り渡してもかまわないという本性が内在していることが、この80年前の事例で明らかなのだ。当たり前のことではあるが、表向きの「良識」ポーズに目を眩まされた民衆は、新聞に書かれたことをやすやすと信じてしまう。

大本営発表をそのまま無批判に垂れ流し、国を滅亡の淵に叩き込むことに一役買った大新聞の戦争責任はどう果たされたのか。
終戦時に幹部の幾人かが辞職したにとどまったに過ぎない。(しかも、朝日においては、6年後に全員、役職復帰を果たしたという)
政党政治をないがしろにする軍部とともに国民の戦意を煽り、虚偽報道をくりかえして、15年にも及ぶ犯罪的な戦争によるアジア民衆の「メガ・デス」(大量死)に導いたという、根本的な自己批判がなされていないから、現在に至っても、平然と検察権力とタッグを組んで与党の幹事長を陥れようとする愚行を重ねてしまうのだ。

80年前の「(軍部)官僚」と「メディア」の関係を見てきて、官僚の行う政治的な国論操作の意思と企業としての大新聞の利害は一致しやすく、ときに共同歩調をとるということがよくわかった。(当ブログ 2010/2/19)


満州事変勃発をきっかけに部数拡大路線にイケイケだった新聞各社は、国民の素朴なナショナリズムに迎合し、むしろ、煽りたて、当時の首相の「弱腰」を叩くまでに至った。「戦争」への舵を大きく切った「国際連盟脱退」や「日米開戦」という出来事は、メディアがつくりあげた巨大な「世論」が、やや慎重な姿勢だった政府の尻をたたいて為さしめたといっても過言ではないということが、この番組で良くわかった。

メディアの煽動により、国ぜんたいを覆った戦争遂行へ向かう「空気」や「気分」が、大きくなりながら急坂を転げ落ちる雪だるまのように、誰にも止めることができなくなり、ついにはメディア自身に牙を向けるようになる皮肉な事態となる。火がつけばメラメラと燃え上がる日本家屋に、「防火演習は無意味」と社説に書いた「信濃毎日新聞」に対し、地元の在郷軍人組織が圧力をかけ、不買運動で脅す場面は、その象徴として描かれていた。

なかなか示唆に富んだ内容で見ごたえがあったが、不満なのは、メディアが世論をつくり、国の未来へも影響を及ぼす巨大な存在であることの自戒の姿勢は見せながら、では、現在はどうなのかという問いかけを欠落させていることだ。たしかに、この番組は「戦争」というテーマなので仕方ないかもしれないが、本来、「メディア」という文脈で「戦争」を語るよりも、「戦争」という文脈で「メディア」が語られるべきなのではないか。この過去の戦争体験は「メディアのあり方」を映すひとつの鏡であると見るべきではないかと思う。

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当時の「陸軍省」とメディアの関係は、今で言えば「財務省」とメディアの関係であるといえよう。
陸軍の戦争遂行へのメンタルが当時の新聞各社の営業事情と合致し、車の両輪として暴走した構造は、「消費税増税」と「TPP参加」でタッグを組む、現在の財務省とメディアの関係と酷似している。

戦争中のメディアの暴走について、認識しているのかしていないのか、まったく教訓化していないメディアの現実には、深いため息をつくしかない。「記者クラブ」という閉鎖的な談合組織が、メディアの「日本的停頓」をもたらしているのは間違いのないところ。記者クラブメディアの既得権益をこのまま温存することは、この先、同じ過ちを何度も何度も繰り返すことの大きな要因となるだろう。

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日本のメディアは記者クラブや新聞協会、メディアグループなどがつくり出す「情報カルテル」によって支配されている。
この情報カルテルは、報道されるニュースの種類や報道に携わる者の数と構成を制限し、記者と公的取材源との密接な関係をつくり出し、独自報道をする記者とメディアの能力を制限し、政治によって操作・支配されている。
その結果、「報道の自由」が事実上制限され、国民は真実を知ることができず、民主社会の発展を阻害しているのである。

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