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「ひとりの犯罪者も逃がさない国家」か「ひとりの冤罪者も出すことを許さない社会」か

3連休に仕事が集中していますので、しばらくは満足な更新ができないと思います。
月曜日には復活しますので、よろしくお願いします。

当てにはならないと思っていたけど、「検察の在り方検討会議」は、やはりあまり期待できないようです。
なんか、ガッカリですね。どこまで、改革の芽は摘まれていくのでしょうか。

特捜部、存続論相次ぐ=一部委員は廃止主張-検察改革会議
時事通信 2月10日(木)19時58分配信

江田五月法相の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」(座長・千葉景子元法相)は10日の会合で、東京、名古屋、大阪各地検に置かれた特捜部の存廃について議論した。多くの委員は「権力犯罪を摘発できなくなる」などとして存続を主張。特捜部廃止を求める意見は一部にとどまった。
 但木敬一元検事総長は会合で「特捜部はこれまで強者の犯罪を摘発してきた。機能を損なうことは国民のためにならない」と強調。龍岡資晃元福岡高裁長官は「特捜部の存在意義はなくならない」と語り、諸石光熙元住友化学専務も「廃止する理由はない」と同調した。
 佐藤英彦元警察庁長官は、名古屋の特捜部の廃止を検討すべきだとしながらも、起訴権を他の部署に移すことを条件に東京、大阪の存続を主張した。
 一方、ジャーナリストの江川紹子氏は 「特捜部に自浄能力は期待できない。いったん廃止して刑事部に組み入れるべきだ」と指摘。また、「特捜部ではなく、特捜部的取り調べの存否を検討すべきだ」(石田省三郎弁護士)との声も上がった。 


江川さんの抵抗もむなしかったようです。
特捜部に自浄能力を期待できないのは、石川さんの裁判の姿勢を見ても明らかです。

相撲協会だって、八百長が表に出たら、本場所の開催を自粛した。
相撲の八百長行為は刑事事件に問われないにもかかわらず、です。
多くのファンをがっかりさせたが、被害といえばその程度です。

検察の行った「証拠捏造」は、明らかに八百長以上の犯罪です。
それを行った地検は、一度、解体されて然るべきなのは当たり前のこと。
そうしないと、村木さんのような冤罪者が後を立たない。

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「どうしたら、冤罪者をつくらないようにするか?」
このコンセプトで検察改革の議論はなされるべきなのに、権力者による犯罪に特捜が必要だなんて議論がまかり通るとは、いったい何のための「検討会議」なのかと呆れてしまいます。

わが町(福岡県北九州市八幡東区)で数年前起こった、「看護師による老人爪剥がし事件」という冤罪事件がありました。被告とさせられた看護師の上田里美さんは、二審で無罪判決をかちとりましたが、「老人の爪を剥がすのに喜びを見出す異常性格者」として起訴されました。

その取調べの模様を、江川さんがツイートしています。

爪切り冤罪事件の取調べについて

enzai1.jpg

こういうことを繰り返させないためにも、「取調べの可視化」は、なんとしても必要です。
万難を排してでも、その実現化に取り組むべきで、いろいろと指摘されている問題点の克服には、知恵を絞って、解決への道を探る。そのための「検討会議」ではないのでしょうか。

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無実の人が処刑されてしまった可能性が高い 「飯塚事件」 というのが、ありました。あんなことを起こしてしまうのは、僕は「国の恥」ではないかと思います。もっと言えば、それを許した「国民の恥」「国民の罪」だと思います。

この事件は、近くということもあって、発生当時、小さくない関心を寄せたおぼえがある。
被害者である女児ひとりの親が、知り合いの知り合いの知り合い・・みたいな位置だったから、親の悲しみようが風聞のような形で伝わってきた。

久間元死刑囚が容疑者として捕まり、頑強に否認していたことも知っていた。
物的証拠は皆無で、当時の精度に乏しい「DNA鑑定」のみが「証拠」とされていることに、地元メディアのなかでは疑義を呈するむきもあった。
そういう報道に触れるたびに「これは、冤罪だな、きっと」とおぼろげながらに思いながら、僕は生活者として我と我が家族を守ることのみに汲々として、そういう思いはどこか胸の片隅に置き忘れてしまった。
なんとなく、気になりながらも・・。

そして、無実だった可能性が大きいひとりの人間が、処刑された。

映画「死刑台のメロディ」で描かれた、アメリカの「サッコとヴァンゼッティ事件」は、アメリカの法曹史上最大の汚点として今でも語られている。

サッコとヴァンゼッティ事件

無実の者が処刑される。
これは、法治国家として、いや、人間社会として、絶対に避けなければならない事態ではないか。
無実かもしれないひとが国家によって殺されるかもしれないことを、危惧をおぼえながら見過ごしてきた、これはきっと、私たちの罪だ。

女児ふたりの死に、もうひとつ、無辜の死をつけくわえたかもしれないこの事実が、深く胸に突き刺さっている。

何もできなかった自分を思い知るがゆえに。

(2009/10/28の筆者日記)



「ひとりの犯罪者も逃がさない国家」か、「ひとりの冤罪者も出すことを許さない社会」か、そのどちらを選択するかで、後世の「平成ニッポン」に対する評価が定まると言っていいのではないでしょうか。


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未分類 | コメント(0) | 20110211011110 | 編集
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