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頑迷固陋な政治記者ズレの速やかな退場を願う

近所を散歩していると、時折、年老いて足元も覚束ないような犬を連れた、初老の男性をみかける。
身なりをあまり、構わぬ人らしく、いつもパジャマの上にジャンパーを羽織っただけの格好で、天下の往来をのそのそと歩いている。
総白髪が目立つ、その眠そうな、生気のない顔を見て、いつも「誰かに似ている」と思い、「ああ、あのひとだ」と頓悟する。
時折、ワイドショーで見かける、以下の文章の主、岩見隆夫氏である。

サンデー時評:鳥越俊太郎さんは間違っている

この文章を読んで慨嘆するのは、長年のジャーナリストとしてのキャリアの持ち主が、総じて真実を射抜く目を持ち合わせているかといえば、必ずしもそうではないということだ。
言い換えれば、その長年のキャリアが、逆にあだとなって、自らの目を曇らせ、柔軟な思考を鈍らせ、あるいは進取の気概を凍らせてしまう。
この岩見氏の一文は、そのことを如実に物語っているといっていい。

冒頭の「ディベート(討論)能力が著しく衰えていることを、最近強く感じる。相手の主張を十分ソシャクしたうえで、自分の説を組み立てる、という当然のことができない。」という唐突な文章が、読む者に若干の混乱を惹起させる。
普通、「誰々の」という主格がない場合、書いているご本人のことだと思うものである。
「そうか、うすうす思っていたけれど、岩見氏も自身の衰えを自覚しているんだな」と思って読み進んでみると、まったくの逆である。自分以外の、国会議員や言論界の人士を指して、言っているのだ。

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申し訳ないけれど、この一文を読んで真っ先に思ったのは、そう言う岩見氏自身が「相手の主張を十分ソシャクしたうえで、自分の説を組み立てる、という当然のことができ」ていない、ということである。鳥越氏のいう「きちんとした検証抜きのレッテル貼りは、言葉のファシズムではないのでしょうか」という言葉の意味を、岩見氏は十分、咀嚼できているのだろうか。

岩見氏が引用している、鳥越氏の文章は以下である。

〈私自身は二つの事件(西松建設違法献金事件と資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件)を巡る東京地検特捜部の動きとマスコミの連動を当初から検証していますが、特捜部が見立てをし、その通り捜査を行ったものの、結局はその見立ては何ら証明されず、最後は不起訴に終わった、いわば“巨大な虚構”に過ぎませんでした〉

これをとらえ、岩見氏は「虚構とはなにごとだ」と言わんばかりに噛み付いているわけだ。

まず、鳥越氏の言う「虚構」は、「検察の見立て」のことを指している。「陸山会事件」における「検察の見立て」とは、「世田谷の土地購入の原資の一部に、水谷建設からの裏献金5000万円が充てられている」ということである。逮捕された石川知祐議員への取調べが、そのこと一辺倒だったことが、それを物語っている。しかし、それは証明できなかった。証明できなかった原因として一番先に考えられるのは、「それが虚構だった」ということだ。

しかし、この頑迷固陋な老ジャーナリストは、

<鳥越さんは不起訴イコール虚構と断じた。とんでもない短絡だ。これまで検察が狙いをつけ追及したが、起訴に至らなかった大物政治家は何人もいる。ほとんどは小沢さんと同様、嫌疑不十分によるものだった。潔白ではなく、虚構でもない。小沢さんの不起訴処分が決定した日、東京地検の特捜部長は、「検事の数ほど意見があった」と言い、処分をめぐって内部に対立があったことをほのめかした。虚構でないことの重要な裏づけだ>

と吠えまくる。

再び、申し訳ないが、客観的証拠によって証明されない限り、「疑惑」なるものは「虚構」にしか過ぎない。ときには「言いがかり」でもあり得る。言葉の上での、主観的決め付けによる断定は、ファシズムの始まりであろう。「ユダヤ人は罪深い」という一方的な決め付けの夥しい堆積が、ファシストによる大虐殺を齎した。「言葉のファシズム」とはそういうことだ。

そして、「検察のすることに間違いない」という根拠のない「信仰」が、いまだにはびこっていることに驚く。市井の庶民がそうであるのなら、まだわかるが、何十年もジャーナリズムでメシを食ってきたはずの御仁の、この認識不足は、救いがたいほどのものではないだろうか。つい最近の「郵便不正事件」から、岩見氏はどういう教訓を得たのだろうか。あれこそ、検察の見立てが壮大な虚構であったことを示して余りあるものではないか。

だから、一特捜部長が言ったことを「虚構でないことの重要な裏づけになる」との言に、心の底から、あきれるのだ。一切の先入観を排して、いくつもの「事実」を積み重ねたうえに、見えてくるものを読者の前に提示する。それがジャーナリズムではないか。「検察が言うから間違いない」とするのはジャーナリズムではない。それは思考停止したカルト教団の「教義」のようなものだ。

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小沢氏の潔白を鳥越氏は信じているようだが、自分は信じない。その根拠は「長年、政治記者として小沢という人物を観察してきた確信」からであるという部分にも、事実よりも、個人の先入観や偏見、思い込みを重視する態度が仄見える。あの「取材相手の顔色を見て記事を書く」という迷言を吐いた岸井なんとか氏もそうだったが、「主観報道主義」というのは毎日出身記者の伝統なのか?

岩見氏には、是非、「陸山会事件」の何が問題であったのか、「事実」を検証することを望みたい。いろいろと人の言うことに難癖をつけるまえに、自ら取材して得られた事実を基に、ものを言ってもらいたい。それをしないで、自らの「主観」を開陳するだけなら、鳥越氏の言う「検証抜きのレッテル貼り」ということになってしまう。

「小沢氏を古い体質の政治家」と断じるのも納得がいかない。「体質」に古いとか新しいとかが、果たしてあるのか?また、新旧でものの正邪がはかれるのか?新旧を問われるべきは、政策であり、ビジョンではないのか?いったい、長年、小沢氏の何を見てきたというのか?旧態依然とした「田中派=金権」という偏見でしか見てこなかったのではないか。「古さ」を指摘されるべきは、岩見氏のオツムの中の方だろう。

ニュースの匠:私情が一番コワい=鳥越俊太郎
鳥越さんの反論です。

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検察官が取調室で吐いた信じられない言葉、外務省の奥の院で行われた陰謀、
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未分類 | コメント(0) | 20110209032659 | 編集
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