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「まぼろしの邪馬台国」異聞

ときどき、政治を離れたことどもを綴りたくなる。
「世に噛む日日」の読者諸兄は、きっと、そういうことは求めていないと思うので、心苦しい限りでは、あるのだが。
いずれ、そういうことを書き連ねる専門のブログを開設しようと思うが、当面、このブログに随筆めいたものをアップする場合もあるということをお許し願いたい。

借りていたDVDの映画「まぼろしの邪馬台国」を観ていたら、竹中直人扮する宮崎康平が、逃げた初妻の残した乳飲み子に子守唄を歌って聴かせる場面があった。
その歌は「島原の子守唄」。
後に妻となる和子(吉永小百合)が、「いい唄ですね。島原に昔から伝わる唄ですか?」と訊くと、「俺が作った歌たい」と康平が答える。
この言葉に、少々、驚いた。

実に浅学非才である僕は、それまで「島原の子守唄」が宮崎康平の作詞作曲によるものだとは知らなかった。
他のどの地方の子守唄と同じように、はるか昔から存在する民謡のひとつだと思っていた。
調べてみるとこの唄は、1958年に島倉千代子の唄でレコード化、2年後の1960年にペギー葉山の唄でレコード化され、これが大ヒットしたのだそうだ。
そんな新しい唄だったとは、実に意外だ。



この哀切を帯びたメロディーは、僕の記憶の中でいちばん初期に属する引き出しの中におさめられている。
はるか昔の幼い頃に、母親とふたりきりで過ごした濃密なひととき―――。
若かった母親の甘い体臭。
吐息の熱さ。
湿った肌の感触。
官能的ですらあるといっていいそれらの甘美な記憶とともに、この「島原の子守唄」のメロディーが、僕の脳髄に刻み込まれているのだ。

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夏の日の昼下がりなどに縁側近くで昼寝をするとき、よく母親が歌ってくれていた。
涼しい簾の内側で身を横たえ、聴いている母親の唄のあまりに哀しい調べに、つい泣き出してしまったことを憶えている。
異国に売られてゆく「からゆきさん」のことを歌った歌詞に、敏感に反応してしまったということもあるのだろうか。
あまりに幸福な母親との時間が、いつか終わりを告げるかもしれない不安に駆られたのだろうか。

あの記憶は、何歳の頃だろう?
1956年生まれの僕が、1958年、60年に出された唄を聴いて寝かしつけられていた、ということなのだが―――。
母親は、島倉千代子、ペギー葉山の唄でこの唄を覚えたのだろうか?
とすれば、母親は世に出たばかりの新しい唄を子守唄としてわが子に唄って聴かせていたことになる。

しかし、いろいろ調べていくうちに、この唄は山梨地方に大正時代から存在する「縁故節」という唄にそっくりだということがわかった。
メロディーのほとんど、歌詞の一部が酷似しているというのだ。
また、玄界灘に浮かぶ大島から対岸の宗像地方に昔から伝わる「七夕の唄」ともまったく同じという指摘がされているそうだ。
偉大な事蹟を遺した巨人・宮崎康平が、盗作をしたということで騒ぎになったこともあるらしい。

「七夕の唄」が、宗像地方の民謡ときいて、なんとなく胸に落ちるものがある。
母親は、筑豊の田川地方出身だ。
宗像とは、直線距離にして、そう遠くはない。

子供の頃に両親を亡くした母の家のことは詳しくはわかっていない。
炭鉱の落盤事故で死んだという祖父や、後を追うように病気で亡くなった祖母が、元々どこの出身だったのか。
生前の母にいくら訊いても、きちんと教えてくれなかったから、僕は今でも被差別民だった可能性を考えることがある。
筑豊地方(と、言うより北九州地方全域)には、被差別部落が比較的、多い。
また、朝鮮半島から出稼ぎに来たり、強制的に連行されてきた人も多かった。
しかし、母親の姉妹3人、全員、すでにこの世にいないので、確かめる術はない。

ともあれ、母親の歌っていたメロディーが、この「七夕の唄」だったということも、大いにあり得るだろう。
むしろ僕は、その可能性のほうが大きいような気がしている。
幼い頃の記憶が、新しく得た知識にリンクするとき、少なからぬ興奮を覚える。
本を読み、映画を観る日常を、これからも大切にしていきたい。

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未分類 | コメント(1) | 20101114031436 | 編集
781|taira|20101114234132

倍賞さんの歌、ありがとうございます。
もう、立派なお婆さんの歳なのに 自分には永遠のマドンナです。
記事に関係なくてすいません。

しかし あの平蔵めの悪行を知りましたのでご報告です。

今日の和田秀樹さんの日記からの引用です。
>昨日のブログに対して、大臣をやったり、日本の経済を動かすようなことをしていながら、竹中平蔵氏が住所を上手に写すことで税金をろくに払っていないはずだという指摘を受けた。

国際化社会の中で、ある程度の法制化はできるだろうが、この手の税金の取りはぐれは防ぐことは相当に困難だろう。

ただ、日本人の中に、まじめに税金を払うやつはバカというような考え方がどこかにある。節税はいいことだとか、税金を安くしてくれる税理士を探すとか、そういう種類の考え方だ。

法を犯さなければ何をやってもいいとか、税金を払うことは国民の義務という感覚があまりに乏しい。

超高齢社会や国際的な知識社会化の流れの中で、税金を払わない人間がいることで野垂れ死にをする人間がでることや、国の教育レベルが下がる、あるいは十分な防衛力をもてないなどということも含めて、国民の納税意識が変わらないと、この国はもたないだろう。

たとえば、竹中氏が偉そうなことを言うたびに、「お前はいくら税金を払っているのだ」「どんなやり方で節税しているのか?」「それで国のことを思っていると言えるのか?」というように発言を封じていかないと、つまり偉そうなことを言いたければ、ちゃんと(払えない人が払わないのは仕方がないが)税金を払わないと、大臣になれないとか、政府のアドバイザーになれないとかいうけじめをしっかりしないと、脱税天国、節税天国、あるいはメッセージの主の言葉を借りると避税天国の状況は変わるまい。

それにしても、竹中氏がそれほどの贅沢をしているとは思わない。推定3億の年収は貯め込んで、息子の代に引き継がれるのだろう。自分が、金があるのに、金が回らない国のモデルのようなことをやっておいて、なんでそれに気づかないのだろう。

それと、ここも・・・
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/5345

全く、、呆れるというか 確かに法には触れてないけど、、、
悪知恵を働かして国に税金を、まるべくおさめようとしないような奴に 国家の財政について偉そうに言われたくないです。
悪賢くて、偉そうに批判す人間ばかりが跋扈するのを見ると腸が、また煮えくり返る思いです。
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