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田中良紹の「国会探検」~この国の「政治文化」をどう変えるか~

田中良紹の「国会探検」~この国の「政治文化」をどう変えるか~

 民主党代表選挙が始まり、日本記者クラブが主催した討論会を聞きに行った。菅総理は小沢氏の「引き立て役」を演じているというのが私の印象である。菅総理が様々な角度から小沢氏を挑発・批判すると、それがことごとく小沢氏を引き立てる効果を生む。

 ところがそういう見方をする新聞・テレビがない。小沢氏の総理就任はあってはならないと考えているかのようだ。日本記者クラブで質問をしていた記者のレベルもひどいもので、政治を分かっていないと思わせる質問が相次いだ。ところがその記者たちが「社説」を書いていると言う。そんな「社説」を読まされている国民は政治を判断出来なくなる。

 考えてみれば新聞は戦前も戦後も国民の判断を誤らせる存在である。戦前は軍部という権力の手先として、戦後は霞ヶ関とアメリカの手先として国民を洗脳する役割を担ってきた。この国の支配者である霞ヶ関とアメリカにとって国民は「知らしむべからず」だから、新聞には判断を誤らせる情報が流され、国民の代表である政治家が貶められるのである。

 選挙が始まる前、この選挙は「政策論争」になると思っていた。それは菅総理が国会の答弁で「財政健全化に政治生命を賭ける」と断言したからである。その考えは自民党の主張と同じで、霞ヶ関の考えとも一致する。そして小沢氏の言う「国民の生活が第一」の路線とは対立する。だからどちらの路線が現下の国際情勢にふさわしいかを議論する「政策論争」になる筈であった。

 ところが選挙が始まってみると菅総理のスタンスが明確でない。「雇用」を強調するだけで、路線については曖昧である。小沢氏の路線と似たような事を言う。この前の参議院選挙で自民党に「抱きついた」のと同じ手法である。そして菅総理が対立軸として打ち出してきたのが「政治とカネ」であった。

 菅総理は自身が「ロッキード選挙」で初当選した事に言及し、それ以来日本は「カネまみれ」の政治を続けているが、その体現者が小沢氏であり、自分はそうした政治と決別すると言った。「クリーンでオープンな政治」を実現する事で日本の「政治文化を変える」と主張した。それを聞いてつくづく官僚がメディアを使って国民を洗脳したマインドコントロールから菅総理も抜け出せていないと思った。

 以前、「政治とカネの本当の話」(1~3)でも書いたが、「政治とカネ」の話になれば私には言いたいことが山ほどある。そして私も「政治文化を変える」事には大賛成だ。ただしその中身は菅総理とは真逆である。ロッキード事件以来、「クリーンでオープンな政治」を主張する野党とメディアが政治の力を弱め、官僚の思い通りの予算配分を実現させてきた。その「政治文化」を否定しなければ、日本に本当の民主主義は根付かず、冷戦後の複雑な世界を生き抜く知恵は出てこない。

 かつて私は社会部記者としてロッキード事件を取材した。田中角栄氏が東京地検に逮捕された時には特捜部を担当していて検察庁の玄関をくぐる角栄氏を目の当たりにした。その取材経験から言えばロッキード事件を「角栄氏の犯罪」とするのは間違いである。角栄氏の贈収賄容疑は司法取り引きによるロッキード社幹部の証言に基づくが、最高裁はその証言を証拠と認めていない。検察は事件を解明していないのである。

 ロッキード事件はアメリカの軍需産業が世界の反共勢力に贈賄工作を行っていたもので、ロッキード社からカネを受け取った政治家は世界各国にいた。しかし世界では誰も捕まっていない。日本でも本命の政治家は逮捕されず、なぜかロッキード事件は「田中金脈問題」にすり替わった。そのおかしさをメディアは追及せずに「総理大臣の犯罪」というデマを国民の脳裏に刷り込んだ。

 以来、国会では「政治とカネ」が与野党攻防の最大テーマとなり、国民から預かった税金の使い道について議論すべき予算委員会がスキャンダル追及の舞台となる。そのため官僚が作った予算案は関心を持たれずにそのまま通過する。「政治とカネ」は官僚にとって思い通りの国家経営を実現する手段となった。そして検察は次から次と「政治とカネ」の摘発を行って政治を弱体化する。その積み重ねが900兆円の財政赤字である。

 今年5月に私はアメリカの週刊誌「ニューズウイーク」から取材を受け、それが「日本を殺すスキャンダル狂い」という記事になった。どこの国の政治家にもスキャンダルはあるが、先進国ではそれを大騒ぎしない。ところが日本だけはスキャンダルで政治家が致命的な打撃を受ける。「政治とカネ」を問題にしていると政治は機能しなくなり、日本全体が沈没するのではないかという内容である。

 私は冷戦が終わる少し前からアメリカ政治を取材してきたが、クリントン大統領には「ホワイトウォーター疑惑」と呼ばれるスキャンダルがあった。アーカンソー州知事時代に公金を使って土地開発を行い、地価をつり上げて不動産業者を儲けさせ、その見返りに業者から献金を受けていたという疑惑である。妻のヒラリーも関与していて、彼女の弁護士事務所が証拠書類を隠滅したと言われ、関係者が自殺していた。

 共和党が疑惑を追及し独立検察官が捜査に当たったが、この問題でアメリカ政治が混乱する事はなかった。捜査が始まれば司法の問題であるから、大陪審にヒラリーが出廷して証言する事はあったが、議会で国民に説明しろなどと騒がれる事はない。政治家は国民の生活を守り、外国との競争に打ち勝つことが仕事である。それが出来ればスキャンダルを追及して政治の力を弱めようなどと欧米の国民は考えない。クリントンの疑惑はよく分からないまま終わったが、国民の支持率が下がる事もなかった。

 与党時代の自民党は野党の「政治とカネ」攻撃を「馬鹿なことだ」と思っていた。検察の捜査を正面から批判すると、メディアに攻撃され選挙で不利になるから黙ってはいたが、検察の大物摘発は10年に1度と考え、誰かが摘発されると「これで10年は大丈夫」と安堵していた。しかしそんな事を続けていれば本来の政治は出来なくなるとも考えていた。

 ところがその自民党が野党になると昔の野党と同じ事を始めた。税金の使い道を議論すべき予算委員会でスキャンダル追及に力を入れたのである。しかしスキャンダル追及ばかりしている自民党に国民の期待は集まらない。メディアの洗脳によって「政治とカネ」に怒る国民もいるが、逆に「政治とカネ」を追及してばかりいる野党に飽き飽きしている国民もいる。

 民主党の「事業仕分け」が人気を集めたのは、初めて税金の使い道が一部ではあるが明らかにされた事だ。国民は無駄遣いの実態を初めて実感した。裏返せば国民はそれまで税金の使い道の議論をまともに見た事がなかった。予算委員会はいつも「政治とカネ」の追及ばかりである。「事業仕分け」の人気は喜ぶべきと言うより悲しむべき日本政治の現実なのである。

 その「事業仕分け」を担当していた枝野幸男氏が日本記者クラブで「政治文化」について語った事がある。「これまでの古い政治は利益誘導型のバラマキだった。しかし事業仕分けで予算を削る事が支持された。明らかに政治文化が変わった」と言った。

 私は開いた口がふさがらなかった。国民が無駄の削減を支持したのは、その削減された税金が自分たちに回ってくる期待があるからである。ただ削減するだけに満足する国民はいない。国民から預かった税金をどう配分するかが政治の根本であり、配分を間違えれば国民に格差が生まれて不満が増大する。間違った配分を是正するための第一歩として事業仕分けをやったのではないか。

 「政治とカネ」の追及に明け暮れて、予算の配分を官僚任せにしてきた政治がこの国の最大の問題である。早く「政治とカネ」のマインドコントロールから解放され、国民の生活を守り、外国との競争に負けない政治をうち立てる事こそこの国の課題である。「政治文化を変える」とはそういう事である。

(旅の途中で閲覧・吟味するための私的な記事でございます 秦映児)


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