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いじめで自殺した生徒でなく、いじめた生徒の心に寄り添う人でなし曽野綾子

 曽野綾子という「作家」がもし目の前にいたら、「そろそろ、自分の『狭い了見』で現実の辛さに呻吟しているマイノリティを傷つける言動をあらためませんか?『生命』を軽んずる行為は、確実にあなたの『後生』にかかわってきますよ」と、大音声で警告したくなってくる。

この種の、「自分の偏った価値観がすべて。それと異なる言説、また現実は、敢えて無視、スルーしたうえで、好き放題の暴言を言い放つ」といったスタイルは、「小説家」や、「漫画家」の一部に顕著である。たとえば、16年間、都政を私物化し、壟断した、あのレイシスト作家がその筆頭に挙げられよう。

そもそも、小説や漫画などの「創作物」は、その作者の偏見や突飛な価値観の「結晶」といっても過言ではない。
それを支持する者だけが、「読者」になればいい。
支持できない者は、徹底的に忌避する。
そういう関係性のなかに「閉じて」いるのならば、何ら、問題はない。
「偏見の塊(かたまり)」や、「非論理的な価値観」や、「非現実的なお伽噺」は、「創作物」のなかにこそ、展開されるべきなのだ。

なのにその、「反人間的ファンタジー」を現実世界に当て嵌めようとする。
自分自身は、それで気分が良いだろう。
しかし、その言動が、確実に、抜き差しならぬ現実の中で辛酸を舐めさせられ、弱り切っている人々の精神を、血を噴き出させるほどに傷つけていることに、決して気づかない。




現実のあまりな苛烈さに、命を絶ってしまった生徒の「弱さ」を弾劾し、その死によって、「辛い記憶」を背負わされることになった加害生徒の「心」に寄り添う。
理非善悪を判断する基準の歪みが、ここまでに至ってしまったことは、「曽野綾子」という個体にとっての、ひとつの不幸なのだろう。

このひとはつねに、「強者」の側に立ったもの言いをしてきた。

強い者は絶対。
弱い者はもっと強くなるように努力しろ。
それでも強くなれない者は、そのまま死ね。

悪魔の論理である。

こういう人でなしの暴言をありがたがる。
この国のメディアの腐臭は、鼻が曲がりそうなレベルに達している。

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差別主義者 | コメント(-) | 20161123003141 | 編集
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