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節を曲げなかった福島みずほさんを断固支持する!

社民党の福島党首が、普天間飛行場移設問題をめぐる政府方針への署名を拒否し、罷免された。
Web上で「頑迷だ」「女の意地だ」などという声を目にしたが、僕は、よくぞ自己の信念を貫いたと感嘆せずにはおれなかった。
昨今の政治は、駆け引きと妥協と譲歩のくりかえしであり、そういうのが「現実」であり「政治」であるとする言が、大手を振っている。
そのなかにあって、愚直に「県外、国外」を目指してきた鳩山首相も、「絶対に県内移設は受け入れられない」としてきた福島さんも、「理想主義」の青臭さを指摘されるキライはありながら、今までの自民党政治家にはみられなかった「清新さ」を示してあまりあるものだった。
しかし、首相は長い間に構築されてきた「対米隷属」という強固な壁に、首相という立場ゆえに、屈せざるを得なかったようだ。
みずほさんは閣僚といえども、背負っている責任の重さが首相とは格段に違うために、自らの信念を貫徹できたということが、言えるのかもしれない。

、「沖縄を裏切ることはできない。数々の犠牲を払った沖縄に負担を強いることに加担することはできない」

自分がもし同じ立場だったら、同じことを言うしかなく、同じ選択をせざるを得なかっただろう。
「連立政権へのダメージを考えたら、『辞任』という選択は出来なかったのか?」
そんな民主党を支持する人の意見も目にしたが、辞任は自らの非を認めて行うことが多く、みずほさんには何の非もない。

みずほさんの「数々の犠牲を払った沖縄」という言葉は実に重い。
沖縄戦での全戦没者は20~24万人とされる。
「鉄の雨が降った」と言われるあの激戦で、日本側の死者・行方不明者は18万8136人、沖縄県出身者が12万2228人、そのうち9万4000人が民間人である。
沖縄のみに犠牲を強いるという構図は、本土防衛の捨石とされたあの65年前の惨劇と、基本的にその構造は変わっていないということだ。
これ以上の沖縄住民への「負担強制」は、「人としての道」に外れる行為である。
日本人として、それは、これ以上にない、汚名である。


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その強い思いで、「これ以上負担を強いることに加担しない」という態度を真摯に貫いたみずほさんに、敬意を表したい。
節を曲げる、言を左右にする、そういう姿を、次代を担う子供たちに見せてはならない。
日本と日本人と日本の未来のために、自分の言葉には責任を持たなくてはならないのだ。

以下は、「日の丸・君が代問題」の議論が沸騰したときに僕が書いた日記だ。
同じ趣旨のことを書いていると思うので、最後に掲げさせていただく。


「節を曲げるということ」

男子はすべからく・・おっと、こういう言い方は女性差別的かもしれない、言い直そう。
人間はすべからく、言行を一致させること、それこそが他者の信頼をかちとることで肝要であると常々、思っている。
言ってることとやってることが違う・・そういう人間は、とくに子供などに軽蔑や不信の念を与えるだろう。
国旗国歌の強制に反対する教師への風当たりが強い。
口パクでもいいから内心を抑えて大勢に従うフリだけでもするのが大人の対応で、無用な混乱を大事な儀式に持ち込み、生徒を困惑させるのは以ってのほか云々、と・・・。
思想・信条の自由は、こういう考え方から少しずつ、侵されていく、と思う。
国を愛すること、国旗を敬うこと、国歌を歌うこと、それが恰も絶対的な真理であり、それを大前提として、それが出来ない存在に対して「混乱させている」・・。
本末転倒とは、このことだろう。
むしろ、そういう「ひとつの考え方にすぎない」ことを人に強制することが「混乱」を招いている要因であるということがどうしてわからないのだろう。
国を愛さない自由は、ある。
国旗を敬わない自由も、ある。
国歌を歌わない自由も、確実に、あるのだ。
精神性の自由、やりたくないことをやらない自由、それが侵害された究極の実態が、北朝鮮の民衆である。

それはわかるが、まあ、そこは抑えて、大人の対応を・・。
子供の立場に立って考えるべき云々・・。

かつてこの国の教師は先の戦争のとき、「一億玉砕」を叫び生徒を死地に赴かせる尖兵として働いてきた。
それが終戦になると、手のひらを返したように「民主日本」をうたいはじめ、戦中の教科書に墨を塗らせた。
その教師や学校の無節操さに対して不信の念を募らせた、当時の子供たちも多かったときいている。
無節操、言行不一致、それを教師が子供の前にさらすことは「教育の死」を意味するだろう。
仏陀、イエスから吉田松陰に至るまで、自らの生き様を以って教えとする先達の例にならえば、国旗・国歌の強制を良しとしない教師らが、国旗を敬えるはずがないだろう、国歌を歌えるはずがないだろう。

自らの節を曲げて、現実的な対応で適当に妥協する。
そんな世渡りを教えるのが教育ではない。
信念を守り、たとえ孤立し、失職のリスクがあろうとも、みずからの「節」は絶対に曲げない姿勢を貫くこと。
それこそが教育じゃないのか。

そういうことが「悪い」とされる社会・・。
さまざまな腐った現実の根本的なものが、そこに垣間見えるような気がする。

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未分類 | コメント(7) | 20100529021008 | 編集
317|-|20100529023644

吉田松陰であれば、たとえ、殺されても「君が代」を歌うだろう。彼は、真の愛国者であったから。
ところで、あなたには「国を愛する自由」を尊重する勇気はお有りか?
319|eiji008|20100529105437

> ところで、あなたには「国を愛する自由」を尊重する勇気はお有りか?

当たり前でしょう。
なんでそんな当たり前のことを尊重するのに勇気がいるんですか?
僕だって国(国土、郷土、社会)を愛していますよ。
ただ愛し方が、違うだけです。
320|影丸|20100529112118

 父親を上海事変で喪い、母親を3月の大空襲で半身不随とさせた私は、国を愛するよりも、身内や友人に連なる「ふるさと」を先ずは愛します。
321|-|20100529123359

このコメントは管理人のみ閲覧できます
323|ローレライ|20100529161132

民主党を完全には把握していない小沢は
民主党内の反対派を押さえる為に社民党や国民新党との「3党合意」を利用してきました。
そこで連立与党体制が壊れると小沢の民主党内支配が揺らぐことになります。
だから前原がゲーツ長官に「五月中の社民党切り」を宣言した目的は
「小沢追放」への突破口を開く事にあるのです。

あと国会運営で反小沢の「みんな」や「公明」と民主が組む場合も
小沢が政権から追放される可能性が高いです。

福島党首と鳩山首相の対立は社民党の連立解消を招き寄せ
小沢一郎も苦境にある最中でしょうね。
325|-|20100529171247

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337|タンスにゴン|20100602002559

今現在一部の人にとって彼女は現在という時代に舞い降りたジャンヌダルクと化している。しかし・・・・・・・ かって村山首相は日本国の首相として自衛隊を認めた。彼にとってその時点では社会党の党員(党首?)であることより、日本国の首相としての立場を重んじた結果であった。その時点で彼は日本国の首相であった。しかし福島氏は国務大臣としての立場、日本国より、社民党の党首の座と社民党を重んじ、一見筋を通した風に見えている。しかし彼女はその時点では国務大臣であったわけで当然、党利党略にとらわれず国益を第一に考えるべきであったのではないでしょうか。本当に正しい行動であったのかはなはだ疑問です。ありていに言えば、参院選で有利な状態を作るために・・・・・・・・・
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