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老害じじい「ナベツネ」による日本の未来の私物化を許すな!

僕は基本的にプロ野球が大好きで、福岡に来た直後からのホークスファンである。
1999年に初の日本一になったとき、それまでが、あまりに弱かったから、感涙にむせたものだ。
小久保、松中、井口、城島が同時に在籍していた2003年の無類の強さは記憶に新しい。
大盛り上がりだった阪神タイガースとの日本シリーズは、野球ファンでいて良かったと思うほど、熱狂した。

小学生の頃まで過ごした山口県の下関市。
市内にある下関市民球場は、大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)が創設された1950年から2年間、本拠地球場として使用された。
下関は、親会社であった大洋漁業(現マルハニチロ)の発祥の地であったからだ。
今はどうかわからないが、僕の子供の当時、ホエールズファンは、市内に少なからず、存在していた。
そのあとは、大阪球場に引き継がれたが、年に数度は、ホエールズ主催のオープン戦や公式戦が開催された。
小学校一年のとき、讀賣ジャイアンツが、試合のために下関へ来るというので、父親の手にひかれて、下関駅まで見物に行ったことがある。
王選手が目の前を通り過ぎていったときのことは、今でも脳裏に焼きついている。
子供だから当然だが、「大きい!」と思った。

数年前、宮崎まで、ホークスのキャンプを見物に行ったとき、数十年ぶりに目の前を歩く王貞治に再会した。
たしかに体格は良かったが(手術前)身長は僕より少し高い程度。
しばし、感慨深く、眺めてしまった。
サインを貰おうかどうしようか迷っているうちに、数人の新聞記者に取り囲まれながら、その場を去っていった。

子供の頃は「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われたように、みんな巨人が好きだった。
漫画にしても、「巨人の星」をはじめ、「ちかいの魔球」「侍ジャイアンツ」など、ほとんど、主人公はジャイアンツに属していた。
1978年、「江川事件」をきっかけとして、僕はアンチに転じる。
曲がったことが許せない性格は、「空白の一日」などというルールの盲点をつくやりかたに、我慢がならなかった。
この頃から、露骨な讀賣の「球界支配」がはじまる。
自球団、系列各社の利潤のために、球界ぜんたいに恫喝と専横をくりかえす、たびたびの暴挙に、都度、怒りが噴出した。
その暴挙の背後には、いつもひとりの男が糸をひいていた。
そう、ナベツネである。(ナベアツじゃないよ)

渡邉恒雄氏は、スポーツを知らない。
読売ジャイアンツのオーナーに就任した直後、東京ドームでゲームを観戦した彼は、解説者としてそばに座った人物に向かって「バッターは三塁へ走ってはいかんのかね」と訊ねたという。また、二死走者三塁で打者が内野ゴロを打ち、一塁でアウトになったときも、「バッターが一塁でアウトになるよりも走者のほうが早くホームへ帰ってきたのに、点数は入らんのかね」と訊いたという。そして、それらが嘲笑の的にもなった。 (略)
それほど野球というスポーツに興味のなかった渡邉恒雄氏が、ジャイアンツのオーナーとなり、プロ球界のすべてを牛耳るようになったのである。野球というスポーツを愛する選手やファンにとって、これほど迷惑なことはない。一見プロ野球選手の権利を認める制度に思えるフリーエージェント制度も、結局はジャイアンツが他球団の主力打者を掻き集めるだけの手段にほかならず、社会人や大学野球の選手の「逆指名」を認めてドラフト制度の「戦力均衡」という理念を踏みにじったのも、ジャイアンツさえ強くなればいい(プロ野球界全体の発展などどうでもいい)という考えとしか思えない。
そのような「考え」に少しでも異を唱える球団があれば、「リーグから出て行け」と恫喝し、それらの球団が複数生じそうになると、「新リーグを創る(反対する球団は新リーグに加えないぞ)」と露骨に脅迫する。さらにプロ野球選手会長の古田敦也氏(ヤクルト)が、選手の諸権利要求のためのストライキを示唆すると、「古田はファンに殺されるぞ」と白色テロもどきの暴言を吐き、憲法にも保障された基本的人権である「代理人」の契約更改交渉を認めようとしない。

「スポーツを知らない権力者にスポーツが支配される不幸」(玉木正之)より引用


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西武ライオンズの堤義明やオリックス・ブルーウエーヴ(現オリックスバッファローズ)の宮内義彦ら各オーナーと図って、プロ野球を1リーグ制にしようとしたとき、僕は、この老害じじいに殺意に似たものさえ覚えたものだ。
そのときは、この三球団を追い出して、残った九球団と韓国、台湾の球団が、国の境を越えた「極東リーグ」でもつくればいいと思った。
古田を指して「選手風情が何を言うか」と暴言を吐いたことも忘れない。
それと、一時期、よその球団から実力ある選手を引っこ抜き、球団内で飼い殺しをする、「選手の無駄遣い」には、心底、憤りを覚えた。
「4番とエースを揃えれば絶対に強いだろう」と言う単純な考え方が、いかにも、「野球を知らない」ことを示して余りある。
どれだけこの爺さんが、日本野球をいびつなものにしたか、野球ファンとしても許せないものを感じてきた。

石原慎太郎、渡辺恒雄は、僕のもっとも嫌いな日本人の双璧をなしている。
ともに、傲慢で、権力主義的で、人を人とも思わず、いつも、意味もなく威張り散らしている。

そのナベツネは、野球界を牛耳ってきた、その同じメンタリティで、今度は、民主党政権を潰しにかかっている。
マスコミが「第四の権力」と言われて久しいが、現代日本において、これほどの絶対権力が他にあるだろうか。
「世論調査を使用した世論操作」という手法を使い、白を黒としてしまう報道のやりかたは、「推定有罪」の概念が支配的な、遅れきったこの日本社会に、きわめて効果的に作用する。
今のところ、とくに大きな、政治的な失点のない鳩山政権が、恰も史上最悪の政権であるかのような印象を世間に植え付けることに一定の成功をおさめているその背後に、讀賣グループを支配する、このとんでもない老害じじいの悪謀があることは、肝に銘じなければならない。

この爺さんの経歴を見ると、権力に限りなく摺り寄り、愛玩され、ついには権力そのものと化す過程が明確に見てとれる。

東京大学文学部哲学科卒業後は読売新聞社に採用試験次席で入社。(略)
『週刊読売』(後の『読売ウイークリー』)記者を経て、政治部記者となる。(略)
警視庁出身の社長正力松太郎の眼鏡にかなって、自民党党人派の大物大野伴睦の番記者になった。以後保守政界と強い繋がりを持つようになり、大野の事務所を行き交う札束攻勢を目の当たりにする。
渡邉に対する大野の信頼は篤く、渡邉は大野の依頼を受けて自民党総裁や衆議院議長ポスト獲得交渉の代行、自民党政治家のゴーストライターとして週刊誌の論説の執筆まで引き受ける。児玉誉士夫と懇意になり、児玉の指令のもとに九頭竜ダム建設の補償問題や日韓国交正常化交渉の場でも暗躍したとされている。
また鳩山一郎の次の自民党総裁・総理大臣を狙っていた正力松太郎が、中曽根康弘を参謀格に自分の派閥を結成して総裁選出馬準備を進めていた際、正力から中曽根との連絡役を命じられて付き合いが始まり、大野の死後は中曽根と親密になった
中曽根とは1957年の自民党総裁選の最中に出会った。渡邉は、初入閣を望む中曽根と副総裁の大野伴睦との仲を取り持った。大野は造船疑獄の際に、自らを追及した中曽根を快く思っていなかったが、渡邉の執り成しによって態度を変え、入閣を確約した。1982年の総裁選の時には、渡邉は中曽根擁立のため、田中角栄の秘書早坂茂三に引き合わせ働きかけた。1966年の国有地払い下げ問題でも大きな役割を果たしている。(略)
1977年、編集局総務(局長待遇)に就任、同年2月18日付の『読売新聞』社説は百里基地訴訟一審判決の違憲立法審査権の存在意義を説いていたが、1981年7月8日付紙面では一転し、二審判決の統治行為論を支持して裁判所の政治介入を制限する主張に変わった。読売新聞が渡邉の主張を取り入れて、中道から保守に傾斜していく過程の一エピソードである。同年、取締役論説委員長に就任した。1984年からは元旦の社説を執筆するようになった。1991年に読売新聞社社長、横綱審議委員、1999年には日本新聞協会会長に就任した。(wiki渡辺恒雄)


新聞記者と政治家は、適度の距離を置かなければならない。政治家の意向が、紙面に反映されるなどということは、それは権力の監視を旨とすべき「ジャーナリズムの死」を意味することになり、絶対にあってはならないことである。
然るに、この男は、そういう恥知らずをやってのけた。
検察とマスコミの癒着を、上杉隆氏が「官報複合体」と評したが、このじじいはさしずめ、「権報複合体」をその一身に体現した人間であるということが言えるだろう。

その爺さんが、谷亮子さんの民主党からの出馬に対し、絵に描いたような、予想どおりの反応をしたので、思わず失笑してしまった。

G渡辺会長「谷から挨拶ない」と激怒!亮子出馬に不快感

会長はおかんむりだ。巨人の最高権力者、渡辺恒雄球団会長が11日夜、都内で渦中の人物を名指しした。

「谷…亮子さんか? あれ、亭主、巨人なんだよ」

 17年の付き合いという民主党の小沢一郎幹事長に推され、亮子氏が同党から夏の参院選に比例代表で出馬を表明したのは10日。同じ日に行われたサッカーW杯日本代表のメンバー発表が、すっかりかすんでしまうほどの衝撃をもたらした。

 「YAWARA衝撃波」はサッカーにとどまらず、野球界にまで波及。夫の谷は同日、球団を通じて「3月にお話を頂いてから前向きに話を進めてまいり、彼女も真剣に国政に携わって、やってみたいことがあるとのことなので、協力できることがあれば、快く協力するということを提言した次第です」などとコメントを発表した。

 熟慮を重ねての決断というわけだが、渡辺会長は寝耳に水。読売新聞社という言論機関のトップで、政界にも強い影響力を持つ立場だけに、身内の“ダマテン出馬”を手放しで応援できるはずがない。本紙単独取材に対する渡辺会長とのやりとりは、以下の通りだった。

 --巨人の関係者がいろいろと参院選の出馬に動いている

 「各党とも一生懸命やってんだよ」

 --おっしゃる通り、いろいろな党から出馬するが

 「谷…亮子さんか? あれ、亭主、巨人なんだよ。オレには何の、あいさつもなしで勝手に!」

 --民主党というのも意外な感じがしたが

 「そういうもんだよ。だから責任持てないよ、こっちは、いちいち。フフン」

 口調こそ穏やかだったが、最後はサジを投げるような乾いた笑いが。

 先月22日に自民党から出馬表明した巨人前監督の堀内恒夫氏(62)は、事前に渡辺会長と直接会って背中を押されている。11日に「たちあがれ日本」から出馬表明した巨人OB、中畑氏についても、同党が渡辺会長に仁義を切ったとされる。

 渡辺会長は今季開幕直前の3月に行われた巨人激励会でのあいさつで、谷ら選手を前に事業仕分けの際の蓮舫参院議員の言動を取り上げ、「2番じゃダメなのか、とバカな発言をした」と指弾するなど、民主党への批判を強めていた。巨人の現役選手の妻が、民主党から出馬されては形無しだ。しかも、「蓮舫・民主党批判」をぶち上げたちょうど同時期に出馬に向けて動き出していたとなれば、渡辺会長の心中も穏やかであるはずはない。


どうして、妻が民主党から出馬するのに、「挨拶」が必要なのか、谷選手は困惑したことだろう。
巨人の選手、OBは、おしなべて、ナベツネの「所有物」なのだろうか?
もし、本気で球団、選手、新聞、テレビ局を「私物化」するならば、日本の未来そのものが「私物化」されないうちに、早いところ、こういう老害じじいは、何らかの形で退場願わなければならない。
早く死んでくれなどというヒドイことは言わない。
出来たら、この世にはじめから存在しなかったということになればベストだが、それは無理か。


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未分類 | コメント(4) | 20100513040853 | 編集
279|ローレライ|20100513100828

ナベツネと言うと鳩山民主叩きの他にも、
野村監督の楽天追放や
検察と組んだホリエモン財閥解体など
日本支配や球界支配に敵対する者への執念深い攻撃がキモい印象がありますね。
280|安西|20100513154346

知り合いに、某大新聞(Y)の記者がいますが、とにかく体育会的体質で、上の方針には絶対服従とのことです。匿名で某ネットにY紙に批判的な投稿をした自社の記者を探り当て、クビにしたそうです。民主党が、恐怖の独裁体制だなどとよく批判できるものです
281|新聞|20100513171110

一度ついたイメージは消えない(その2)

「中畑清=ワン公・発言」
~「中畑清」が、巨人の現役時代に、王監督(当時)の事を
「ワン公」と陰で言ってたことが、雑誌などで表面化したこと。
~ワン公(王の中国語読み・背番号1と、犬を掛けた)発言。

「堀内恒夫=オロナミンC」
~堀内です。決め手はいつもオロナミンCです。
 高田です。がっちりキャッチオロナミンCです。~
~現役時代は、野手と違い安月給だった堀内投手(当時)。
ナベツネに、火中の栗を拾わされて巨人監督。
(巨人監督時代、大腸ポリープの切除手術を
受けたところ、初期のがんだったことが判明。
現在、再発はされていないようですが心配です。)
今また、ナベツネに滅私奉公で、自滅党から出馬とは・・・。
(自らの生命を削るようなもの・・・。)
282|トッペイ|20100513232529

ゴミツネは、日本のガン、国賊、唾棄すべき男です。
たかが、一介のブンヤの分際でフィクサー気取りで国政を壟断し、国民に選ばれた政治家を配下の新聞、電波を使って叩きまくる。一体何様のつもりなのか。
中曽根といいこのじじいといい、なぜこんな権力亡者ばかりが長生きするのか。憤激にたえません。
私は、何の宗教も信じませんが、地獄はあると思っています。
小泉、竹中、ゴミツネ、こいつらは100パーセント間違いなく無限地獄へ落ちるでしょう。ついでに、ゴミツネの手下で死ぬほど卑怯で姑息なシンボウも血の池地獄確定です。
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