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明日(というか、今日)の夜から長距離(名古屋)を走るので、車中で聴く音楽CDを作成していたら、こんな時間(午前3時)になってしまった。

ipodも何も持っていないので、好きな曲をCDに焼くという、やや時代遅れかもしれない方法をとらざるを得ない。しかし、これとて、一昔前には考えられなかったことだ。
若い頃、深夜走行するときは、AM放送の「オールナイトニッポン」や「走れ!歌謡曲」を聴くしかなかった。それでも、あまり退屈することはなかったが・・。

ともあれ、今日のネタとしては、やはり「石原都知事の辞任」ということになるのだろうか。
まず言えるのは、最悪の人物が退場したんで、東京都民にとっては良かったんじゃないかということだ。
市議会開会中にツイッターやってるような某市長と同じく、結局この爺さんも都政なんかどうでもいいみたいだし。

選挙に出馬しないなんて言っておいて、前言撤回して立候補し、知事になったと思えば、今度は任期途中で投げ出すわけだ。
不思議に思うのは、どうしてこんな男の気儘、我儘が、いつまでも通用するのかということだ。

言ったかどうか判然としない「放射能つけた」という「言葉」のみで、集中攻撃を浴びせ、鉢呂元大臣を引きずりおろした記者クラブメディアは、なぜか、暴言や差別発言を果てしなく連発する石原に対しては及び腰だ。

今日の各紙の記事を見ても、怖気をふるうほど、石原に阿るような表現に満ちているではないか。テレビは町に出て、「はっきりものを言う石原さんに、国政で頑張ってもらいたい。今、日本は、彼のような強い指導者が必要だ」みたいな、愚かな都民の声を拾って歩く。

ちゃんとしたジャーナリズムなら、この男が都知事として君臨した十数年間の総括を、まずはもとめていくべきであろう。新東京銀行の設立─解体や、オリンピックの誘致などで、こいつが湯水のように都民の血税をドブに捨てるように蕩尽したことを、追及していくべきである。

然るに、朝日、読売、毎日の記事を読んで、「都知事在任時の功罪」に触れていたのは、朝日のみ。それも、ずいぶんあっさりとした、おざなりなものだった。
そんなことより、各紙が関心を寄せたのは、「石原新党結成」と「維新の会との連携」などという、どーでもいいものだ。

立ち腐れ、違った「立ち上がれ日本」なんて、あってもなくても大勢とは関係なさそうな、古色蒼然たる「保守」老人党に、石原が党首として加わったところで、今の日本が救われるなんて、とても思えない。どころか、「維新の会」なんて胡散臭い集団と連携なんてことをすれば、むしろ、救われなくなる可能性のほうが高いだろう。

新党結成なんて茫漠とした未来のことより、十数年という長きにわたって都民の頭上に君臨した「石原都政権」の検証を怠ることなく取り組むのが、ジャーナリズムの本分なのではないか。都知事という分際を超えて、都政とは直接関係のない領土問題に余計な介入をし、憂慮すべき外交問題を引き起こした責任をこそ、問うていくべきではないのか。

中国船が領海侵入したら、「毅然として」すぐ拿捕するなり逮捕なりすればいいと、あるとき石原は言っていた。確かにそのとおりかもしれないが、その程度なら、僕の行きつけの床屋の主人だって言っている。そう簡単にいかないのが、相手のある現実の外交というものだ。床屋の主人程度のことを吠える政治家を「強い」だの「歯に衣着せぬ」などと称える傾向ほど、国益を損なうものはない。

ところで、今日、ツイッターで、ジャーナリストの田中稔氏の、「石原知事、本日辞任表明か。15時に会見をセット」という呟きに接し、すぐに思ったのは以下のことだ。

「なんかヤバイことでも発覚しそうになったのかなw 」



だって、あまりに唐突じゃないか。どうして、今日というタイミングなのか。政党交付金とかなんとか、いろいろあるにせよ、なぜ、10月25日だったのか?

これで思い出すのは、以前、横浜市長で、今は維新の会のブレ~ン(笑)である中田某のことだ。この御仁が任期を七ヶ月も残して突如として辞任したとき、隠れ借金問題とかで火の粉を浴びそうになったからだとか、愛人スキャンダルがあったからだとウワサされたことを思い出す。

石原は、十数年前に衆議院議員を辞めたときも、なんか唐突で、不可解だったという記憶がある。
このことについては、阿修羅掲示板で、面白い書き込みがあった。

オウム・クーデター、成功の暁には、石原内閣誕生?
投稿者 この話の信憑性は??? 日時 2003 年 11 月 10 日 21:52:27:P6exn2oOQdwXw

-石原慎太郎、議員辞職の真相について-

オウム・クーデター、成功の暁には、石原内閣誕生?
石原氏がなぜ国会議員のバッジをはずしたのか?
(中略)
 麻原が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は、石原慎太郎の四男で画家の延啓
(ひろたか)の作である。
そしてオウムの宗教法人認可には、石原の尽力があった。
 オウムが一刻を争い、宗教法人の認可にこだわっていたのは紛れもない事実です。
 宗教法人の資格があるからこそ、サティアン内部に警察や県も調査にはいれ
なかったわけです。 ここが戸塚ヨットスクールのような民間との違いです。
 
彼らは北朝鮮の工作員から徹底したクーデターのノウハウを学び、実際に多くの
若者を拉致し、軍事訓練を行い、その準備を進めていました。何とそのクーデター
成功の暁には石原慎太郎氏を首相に想定していたとの元オウム官房長氏の
爆弾暴露証言までついています。
 
オウムは、日本をひっくり返すクーデターを企てていたが、その際に石原を首相に担ぎ出そうという計画もあった。オウムとの件を公にしないことを条件に石原は検察当局と取引し、議員を辞職した。
 検察当局との「司法取引」(=裏取引)により、公職即ち国会議員を辞職することで、この話は公表されずに闇に葬り去られたのです。
 
 石原慎太郎は、警察によるオウム教施設の手入れの開始から数週間後に議員を辞職した。
 『ハマコーの非常事態宣言』(浜田幸一著)で、“石原はオウム教に莫大な寄付をしていた”と名指しで非難されている。
 ハマコーが最初に石原とオウムの関係を喋ったのは、オウム事件の真っ只中の時で、石原は、あわてて任期途中で議員を辞めている。
また、霊友会の熱心な信者である石原が、霊友会とは兄弟関係にある統一教会(韓国の新興宗教)とのつがなりが深いのは常識。


この記事の真偽はともかく、こういうものを読めば、このときと似たようなパターンで知事を辞めた今回も、「何かあるんじゃ?」と勘ぐってしまう。
少なくとも、「新党結成」だけが、その動機のすべてではないだろうという、僕の内部にある何者かの声が、しきりときこえてくるのである。

時間がきた。明日は名古屋出張なので、更新はむずかしいだろう。

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未分類 | コメント(-) | 20121026051759 | 編集
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