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昨日のエントリ「反権力の牙を抜かれた日本共産党」に対し、「小沢民主党も権力だろう」というツッコミが入った。

正直、その反論は予想できていたので、最初は「反検察の・・」としようかと思っていた。
しかし、国家権力に弾圧されてきた血の歴史を持つ日本共産党にとって、真に戦わなければならない権力は、現政権の持つ「政治権力」ではなく、弾圧の尖兵として直接の攻撃をしかけてきた「司法権力」ではないのか、という強い気持ちがあったので、敢えて「反権力の・・」としたのだ。
昨夏の衆院選で現政権が手に入れた権力は、国民が「俺たちのために公平に使ってくれ」と負託した権力だ。
しかるに、民衆の味方であるはずの日本共産党は、「試験に合格して与えられた権力」の一方的な行使を支持し、「国民の負託を受けた権力」潰しに力を貸しているとしか、自分の目には映らないのだ。

百歩譲って、小沢氏の蓄財やカネの運用の仕方が不透明で道義的な問題があることを認めるとしよう。
それはそれで、他党の政治家やジャーナリストによる検証や告発の必要があるということも、わからない話ではない。
しかし、その一方で、今回の明らかにおかしい検察権力の不当な行使を、なぜ共産党は問題視すらしないのだろうか。
それどころか、水谷建設幹部が5000万円受け渡したという「証言」を、「私たちが直接取材して赤旗に載せた」と誇らしげに宣伝して、検察の強権捜査をあと押しさえしている。
24日放送の「朝まで生テレビ」で、ジャーナリストの大谷明昭宏氏は、共産党の穀田恵二常任幹部会委員に言い放った。
「あれほど数々の冤罪事件に関わってきた共産党が、しかもその重鎮であられる穀田さんが、いつから『推定無罪』(の原則)を捨てたんですか?『推定無罪』でしょうが、ものごとのまず最初は!」
そう、僕もそれを訊きたかったのだ。
なのに穀田氏は、「刑事事件は検察に任せればいい。私たちは国会で小沢幹事長の政治的道義的責任を追及するまで」と逃げをうつ。
共産党は、何が正しくて、正しくないかということは、どうでもいいらしい。
ただただ、マスコミと同じく、つくられた「小沢=悪」の構図に自らも組み込み、胡散臭い「正義」の側にまわり、「悪」を追及するパフォーマンスを演じることによって、何がしかの国民の「支援」をとりつけたい、票にしたいという、きわめて矮小な意図しか持ち合わせていないようだ。

そういう、「十年一日」な共産党にくらべ、既成の権力の枠組みを根底から壊し、新しいものに変えようとしている小沢氏と鳩山政権が、はるかに「革命的」に見えるのは、まるで笑えない冗談みたいだ。
共産党が真に世の中を変える党派であるならば、既成権力は、あらゆる手段で潰しにかかっていただろう。
しかし、1955年の「六全協」で、それまでの武装闘争を捨て、選挙優先の「議会闘争」に舵を切って以来、共産党はその存続を許された。
今、「政治資金規正法」という伝家の宝刀で、既成権力は小沢氏を抹殺しようとしている。
小沢氏こそが真の革命家ということの証左だとは、言い過ぎだろうか。

共産党は、立ち向かっていくべき権力を間違わないでほしい。
「民衆の選んだ権力」と「民衆を抑圧する権力」を、きちんと識別する目を持ってほしい。
極右ジャーナリストに「穀田氏の言うとおりだ」と褒められたことに、もっと情けなさを感じるべきだろう。
「愚者に褒められるは賢者の恥」という言葉があるとおり。

日本の権力は果たして政治と政治家の側にあるのか?
以下の記事を読んで見てください。まさに、「目からウロコ」です。

田中良紹 「国会探検」
「成熟政治と未熟政治」

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